1934年初土俵。1941年、第36代横綱昇進。12年という長期に渡り横綱をつとめた。優勝7回。なかでも1952年の1月場所では37歳で全勝優勝。1953年現役引退。余談ながら、東京の銭湯経営者には新潟県出身者が多く、昭和40年代には都内にあった銭湯およそ2700軒のうち約1200軒が新潟県人によるもの …
橋本光夫(はしもと みつお、1949年4月12日 - )は、日本の実業家。元浦和レッドダイヤモンズ(三菱自動車フットボールクラブ)代表取締役社長、元ラグビー選手。新潟県出身。 4月12日生まれの人 1949年生まれの人: 266 叶精作 新潟市の出身: Wikipedia 新潟県出身 の人物一覧 ... 稀勢の里寛 - 元大相撲 力士(第72代横綱)。茨城県 牛久市出身。母親が県内出身。 小橋正義 - 競輪選手、岡山県 玉野市出身、現在の選手登録地が当県。 反町康治 - 元サッカーu-22日本代表監督、現:松本山雅fc監督。両親共に県内出身。2001年から2005 羽黒山 政司(はぐろやま まさじ、1914年11月18日 - 1969年10月14日)は、新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(現:新潟県新潟市西蒲区)出身の元大相撲力士。第36代横綱。本名は小林 正治(こばやし まさじ)[1]。, 1914年11月18日に新潟県西蒲原郡松長村(現:新潟県新潟市西蒲区)で農家を営む家に三男として生まれる。地元・新潟県の土地相撲で活躍した父親の血を引いたのか、幼少期から大兵だった。当時、新潟では風習で風呂屋の主人を志すことがあり、平成時代に入ってからも東京都内の銭湯の経営者は新潟出身者で占められている。正治少年も1929年に上京して、伯母が両国で経営していた銭湯「朝日湯」へ奉公に出て三助をやっていた[2][3]。, 正治少年が三助として奉公に出てからしばらくしたある日、「銭湯の三助が怪童」との噂を聞きつけた、朝日湯の隣にあった錦嶌部屋から熱心にスカウトされたが、三助で食べていくために丁寧に断り続けた。しかし今度は正治少年の噂を聞きつけた立浪から連日のようにスカウトを受けたが、度重なる攻勢に正治少年は次第に心を閉ざし、伯父の経営する世田谷区の風呂屋へ逃げ込んだ。しかし立浪は、逃げ込んだ世田谷の風呂屋にまで足を運んで正治少年をスカウトし続け、「横綱になればもっと親孝行が出来るぞ」「相撲取りはいいぞ。全国を見物して歩けるし、出世すれば田畑を買って親を喜ばすこともできる」との言葉に心が動き、ついに立浪部屋へ入門を決意した[2][3]。, 最初から出身地に因んだ「羽黒山」の四股名で(大字が羽黒だった)、1934年1月場所で初土俵を踏む。初土俵に関しては、1月場所直前に双葉山との稽古で右足を捻挫したため同年6月場所まで待ったという説もある[3]。これ以降、双葉山定次の胸を借りながら徐々に力を付け、序ノ口から幕下まで4場所で通過し、さらに関取増員の影響もあって僅か3年後の1937年1月場所には十両へ昇進した。その十両も僅か1場所で通過し、初土俵から所要7場所という最速で、1937年5月場所には新入幕を果たした[2][3]。入幕まで連続優勝を果たした力士は初であり、2017年時点でも他に出ていない[3]。, 入幕後も羽黒山のスピード出世は止まらず、平幕2場所、小結2場所、関脇1場所で1939年5月場所後には大関に昇進する。大関で一場所だけ途中休場(1940年5月場所)があったが、1941年1月場所は前田山の張り手戦法に屈した黒星だけの14勝1敗で双葉山と優勝同点[4]、5月場所もやはり14勝1敗で2敗の双葉山をおさえて初の幕内最高優勝を果たし[5]、場所後に横綱昇進。大関も4場所での通過となった[3]。, 横綱昇進後は皆勤さえすれば必ず優勝争いに絡む安定した強さを示したものの、ちょうど双葉山が円熟期を迎えており(羽黒山の新横綱場所から4連覇)、しばらくはその陰に隠れた存在に甘んじた。横綱6場所目、後楽園球場での開催となった1944年5月場所で10戦全勝、1敗の双葉山をおさえてようやく横綱として初、通算2度目の優勝を果たす。, 双葉山が現役でいた間、双葉山と1勝差で優勝を逃すこと2度、優勝同点1度、逆に2度の優勝はともに双葉山を1勝差でおさえてのものだった。2度目の優勝の頃からは「もう双葉山より強いのではないか」という声も聞かれるようになった。, 第二次世界大戦の敗戦とともに双葉山が引退すると、名実ともに第一人者として戦後の復興真っ只中の相撲界を支えた。1945年11月場所から4連覇・32連勝を記録したが、その間に立浪の娘だった妻と長男を相次いで亡くす悲劇に見舞われ、その悲しみを乗り越えて全勝優勝を果たした(1946年11月場所)[2][3][1][6][7]。それ以外にも、戦時中の食糧難により体重が90kg台前半まで落ちたことがあるなど苦難を経験している[8]。, その後も羽黒山にはアクシデントが続く。1948年4月23日の五條巡業で照國と取り組みを行った際に右アキレス腱を断裂、当時の日本の外科の権威によって手術が行われたが、半月程は下駄を履いて歩くのにも難儀した[9]。さらに同年7月の北海道巡業で横綱土俵入りを行った際、四股を踏んだ途端に同じ箇所を再び断裂してしまった。すでに羽黒山は30代に入っており、その後も後遺症で休場するなど再起が絶望視された[2]が、周囲が引退に反対していたため続投[8]。1949年5月場所で復帰し、11勝4敗で何とか踏みとどまったが、既に羽黒山のかつての勢いは失われたと思われた。しかし、1952年1月場所で最後の優勝を全勝で飾り、この時37歳2ヶ月で最高齢での全勝優勝記録となっている[10]。この場所千秋楽の千代の山戦は、千代の山の激しい突きに羽黒山も応戦、右のど輪で攻め立てて左下手廻しを引くや、大きく下手投げを放ち快勝、という内容であった[11]。, 1952年12月16日に師匠・立浪が亡くなると、現役のまま二枚鑑札で立浪部屋を継承した[3]。1953年1月場所4日目、二瀬山勝語との取組中に右手親指が二瀬山の口に入り、そのまま強く噛まれて骨折した。このまま休場かと思われたが、この時は照國萬藏が前日に引退を表明したばかりで、東富士欽壹・千代の山雅信も不振だったため休むに休めず、折れた指に添え木と包帯を当て痛み止めを打ちながら土俵に上がる(添え木は土俵に上がる際に外した)など、悲愴な土俵を務めた。この場所は新鋭・栃錦清隆と対戦したが、この取り組みが行われた日は再婚した妻の長男が誕生した日でもある[2]。1953年9月場所は全休のまま、この場所限りで現役を引退した。, 引退後は年寄専任となったが、現役時代から後進の育成に熱心で若羽黒朋明を大関に昇進させたほか、立浪襲名中には時津山仁一・安念山治・若浪順と若羽黒をそれぞれ幕内優勝者に育てた。時津山・安念山・若羽黒に北の洋昇を加えた4人は「立浪四天王」と謳われたほどであるほか、吉葉山潤之輔を始めとした部屋の内外を問わず若手力士に胸を貸し、成長に貢献した点は特筆される。日本相撲協会の取締・理事も務めた[1]。部屋の師匠としては多くの親方衆を含め、各力士の素質を活かし伸び伸びとその個性を土俵上で発揮させる指導を行い、それが立浪部屋の伝統となった。弟子勧誘については「相撲でいいやつが一人出てどんどん勝つと、やっぱり地方から訪ねてくるもの。『この部屋にはいいのがいるから入門したい』って、地方から手紙が来ますよ。それから(逆に)地方の知っている人にはほうぼう手紙を出しておいて、新弟子を世話してもらったりしてね。そうでなければ、若いもんは増えませんワ」と話していた[12]。, 1969年10月14日、東京都新宿区にある慶應義塾大学病院にて尿毒症により没した。54歳没[3]。立浪部屋は、羽黒山の長女と結婚した安念山が継いだ。, 優勝回数は7度だが、長く上に双葉山が存在して同部屋であるだけに直接対戦が無かったことと、年2-3場所時代の力士である上に、最盛期に戦後の混乱で場所の開催もままならなかった時期のあること、そしてアキレス腱断裂などで随分損をしており、実質的に歴代横綱の中でもA級の強豪として評価する声が少なくない[3]。加えて当時は優勝決定戦が無い代わりに同点者は上位優勝という制度があり、これで優勝を逸したこともあった(1941年1月場所)。32連勝は当時双葉山の69連勝と36連勝に次いで昭和以降3位(現在は11位タイ)、敗戦直後の時期に達成した記録であり数字以上の評価がなされている。太平洋戦争や双葉山道場立ち上げの影響により最大70人近くいた所属力士数が一時期20人前後にまで減った立浪部屋の勢いを名寄岩と共に取り戻した力士でもある[12]。, 2度のアキレス腱断裂から奇跡的に復活、豪快な横綱土俵入り(不知火型)で人気だった。土俵入りに関しては掌を前面に向けて押し出しながら掬いあげるようせり上げていることから『重たい岩をも支える腕の形』を表わしているとして、やくみつるは不知火型の(さらに言えばせり上がりそのものの)本質に従った良い見本として評価した。[13]やくみつるは輪島以降このせり上がりの本質が顕著に失われていったと批判し、白鵬や日馬富士といった不知火型の継承者をその典型例として提示し、「掌を真下に向けている」と指摘した。土俵理入りの型は太刀山と同郷のため昵懇でよく碁を打っていた立浪が「もし羽黒山が横綱になったら、不知火型をやらせてくれ」と頼んだという[14]。, 横綱在位30場所は、2代目梅ヶ谷の24場所を凌ぐ当時の最長記録であり、年6場所制以前に引退した横綱としての最長記録でもある[15]。, 羽黒山の最多連勝記録は、32連勝である。(1945年6月場所6日目:安藝ノ海節男戦 - 1947年6月場所7日目:汐ノ海運右エ門戦まで) ※不戦勝制度導入後5位タイ, 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)20ページから22ページ, 妻が死去したことに関しては「昭和21年の4月23日に女房が亡くなって、5月13日に子供が死んだんだ。21日目に長男を取られたんですが、その時巡業に出てたが、自分は横綱だったから部屋から電報が来ても休ませてくれなかったね。女房が亡くなった時は、わしらが岩国の方に巡業に行ってた時だったけど、そこで夜、電報を受け取ったんです。けどその晩は嵐で汽車が不通なんだ。仕方がないから次の日の昼間の急行に乗ったんですが、それも勧進元が『土俵入りだけはしてくれ』って言うもんだから土俵入りして飛び乗ったんです。だから東京に帰ったのは、女房が死んだ次の次の日。わしが部屋に入ったらちょうどお葬式の最中。お経が始まっていたところでした。女房の葬式を済ませてすぐ三重県の桑名へ巡業に出たんですが、そこからずっと東海道を打ちながら、御殿場まで来た時に、今度は『コドモキトク』の電報を受け取ったんです。跳んで帰ってきたら今手術をしたというところで、まだ息をしてました。わしが子供の手をつかんでやるとフッと目を開いて『とうちゃん、とうちゃん』って、手を離さなかったな。手を握ったまま死んで行ったです」と語っている。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=羽黒山政司&oldid=77383627, 横綱として強いだけでなく、他の力士の危機を救った人格者としても知られる。大関時代、幕下の, 新三役に上がる頃までは左差し右前ミツになって頭を付ける相撲を取っていたが、大関になる頃から新聞などで取り口が上位力士らしくないという批判を受け、受けて立つ相撲に変わった。怪力の印象が強いが、本人は実際に重い物を持ち上げて周囲を驚かせたことなどなかったと1956年の小島貞二との対談で語っている, ただ一度16尺土俵で開催された1945年11月場所で優勝しており、15尺土俵と16尺土俵の2つで幕内最高優勝の経験を持つ唯一の力士ということになる, 「双葉山がいなければ、羽黒山が一時代を築いていた」という見方もあるが、彼の強さは双葉山との, 終身に渡り新潟弁が顕著であったことで知られ、これを完全に理解できる人間は相撲界に誰一人といなかったと伝わる。普通の人には4割から5割程度しかわからなかったが、弟子の黒姫山は7割から8割は分かるので、新潟弁の通訳を行っていた。その黒姫山は地方場所に行けば付け人でもないのに必ず呼ばれ、給仕を行っていた. 新潟県出身の現役力士一覧!新潟出身力士の番付や星取表、成績など基礎情報がまとめて分かる。さらに各力士の詳細プロフィール付き。最新場所と過去6場所の成績も一挙公開。新潟県出身力士の本場所15日間を応援するのに最適な力士データ満載です。 1934年初土俵。1941年、第36代横綱昇進。12年という長期に渡り横綱をつとめた。優勝7回。なかでも1952年の1月場所では37歳で全勝優勝。1953年現役引退。余談ながら、東京の銭湯経営者には新潟県出身者が多く、昭和40年代には都内にあった銭湯およそ2700軒のうち約1200軒が新潟県人によるもの … - 1982年12月16日)は、日本の物理学者。素粒子論および場の量子論を専攻。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。, 本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。, 北 昤吉(きた れいきち、1885年7月21日 - 1961年8月5日)は、日本の思想家・評論家・政治家・教育者。鴨湖、光永、禮華と号す。北一輝の実弟。, 北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。, 八田 三喜(はった みき、1873年 - 1962年)は、日本の教育者。 息子は演出家の八田元夫と教育者の八田亭二。, 立岩 真也(たていわ しんや、1960年8月16日 - )は、日本の社会学者。立命館大学先端総合学術研究科教授。, 竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 - )は、日本の社会学者(教育学博士)。専門は、教育社会学。京都大学教育学部名誉教授。関西大学名誉教授。, 余湖三千雄(よご みちお、1943年4月4日 - )は、日本の教育者。元鹿島学園高等学校理事長兼学校長。, 安田 辰昭(やすだ たつあき、1938年 - 2008年2月21日)は、日本の高校野球指導者、教員。小千谷高野球部監督、新発田農高野球部監督、新潟県高校野球連盟理事長などを歴任した。, 松井 美緒(まつい みお、旧姓:菊池、1974年1月15日 - )は、日本のタレント。夫はプロ野球選手の松井稼頭央。, 越乃 リュウ(こしの りゅう、1973年7月23日- )は、元宝塚歌劇団月組の男役。元月組組長。, 佐藤 恵(さとう めぐみ、1966年9月13日 - )は、新潟県新潟市出身の日本の元女子走高跳選手で、元日本記録保持者。中学時代より高い身体能力で日本女子の跳躍界を席巻した。, 岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生の田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。新潟市立沼垂高等学校(現新潟市立万代高等学校)卒業。, 馬場 ふみか(ばば ふみか、1995年6月21日 - )は、日本のモデル、女優である。新潟県新潟市出身[注 1]。ネイムマネジメント(旧エリートジャパン)東京本社所属。, 高山 侑子(たかやま ゆうこ、1992年10月13日 - )は日本のファッションモデル、タレント、女優。愛称は、侑子りん(ゆうこりん)。, 笹川 美和(ささがわ みわ、1983年2月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家である。, RAN(らん、1982年1月3日 - )は、日本の漫画家。新潟県出身。敬和学園高等学校出身。日本アニメ・マンガ専門学校卒業。, 笛田 博昭(ふえた ひろあき、1978年10月8日 - )は、日本の声楽家 (テノール)。新潟県南魚沼郡湯沢町大字湯沢字上熊野出身。, 柳下 容子(やぎした ようこ、1976年9月9日 - )は、新潟県新潟市出身の元チアリーダー。身長:156cm、血液型:AB型。東京女子体育短期大学卒業。, 日本の写真家 テレビドラマ、日本映画、海外映画{Foxjapan}などのポスター撮影、TOYOTA、味の素、JR東日本などの広告撮影を手掛ける。, 羽田 雄一郎(はた ゆういちろう、1967年7月29日 - )は、日本の政治家。学位は学士(玉川大学・1992年)。民進党所属の参議院議員(4期)、民進党団体交流委員長。, こいし さとし(こいし さとし、1965年11月23日 - )は、日本の漫画家。別名:小石さとし、小石諭。本名、小石諭。 新潟県新潟市中央区出身。敬和学園高等学校卒業後、東京デザイナー学院卒。, 鈴木 雅久(すずき まさひさ、1960年6月18日 - )は、イラストレーター。新潟県新潟市出身。敬和学園高等学校卒。, 遠藤 由華(えんどう ゆか、1991年9月30日 - )は新潟県新潟市出身の新体操選手。2008年北京オリンピック代表(新体操団体)。日本女子体育大学←新潟第一高校/STELLA 所属。身長166.5 cm。, 小竹 尚子(こたけ なおこ、1970年11月1日 -)は新潟県出身の日本の柔道家。56kg級及び61kg級の選手。身長165cm。, 細野 真宏(ほその まさひろ)は新潟県出身の予備校講師、経済解説者、映画評論家。受験予備校Hosono's Super School主宰。, 有田 光成(ありた こうせい、1993年9月6日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。サッカー選手の有田光希は実兄。, 早川 直樹(はやかわ なおき、1992年4月3日 - )は、2016年現在トップリーグヤマハ発動機ジュビロに所属するラグビー選手。, 有田 光希(ありた こうき、1991年9月23日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。愛媛FC所属。, 大野 和成(おおの かずなり、1989年8月4日 - )は、新潟県上越市出身のサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはDF (センターバック)。, 八藤後 裕太(やとうご ゆうた、1986年3月12日 - )は、2016年現在トップリーグNTTコミュニケーションズシャイニングアークスに所属するラグビー選手。, 小山恵生(こやま よしお、1975年11月13日 - )は、日本の元ラグビー選手。, 古川 利行(ふるかわ としゆき、1963年9月24日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。, 本間 愛美(ほんま まなみ、旧姓:坪谷、1986年6月14日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。ポジションはガードフォワード。コートネームは旧姓から取った「ツボ」。新潟県五泉市出身。, 猪又 秀和(いのまた ひでかず、1984年3月14日 -)は新潟県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は185cm。組み手は右組み。得意技は大外刈。, 小林 志郎(こばやし しろう、1982年4月23日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は円盤投。円盤投の元日本学生記録保持者。円盤投および砲丸投の新潟県記録保持者でもある。, 高橋 裕二郎(たかはし ゆうじろう、1981年1月13日 - )は、日本の男性プロレスラー、俳優。日本体育大学卒業。新潟県新潟市出身。新日本プロレス所属。, 天尾 美貴(あまお みき、1976年8月22日 -)は新潟県西蒲原郡出身の日本の柔道家。現役時代は70kg級の選手。身長164cm。得意技は内股、大内刈。, 奥山 達之(おくやま たつゆき、1976年1月30日 - )は、新潟県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。, 石崎 光(いしざき ひかる、1974年8月30日 - )は、日本の音楽プロデューサー、アレンジャー、ギタリスト、ベーシスト、キーボーディスト。, Hánna(はんな、生年不詳、12月7日生)は、日本国外生まれ、新潟県在住のシンガーソングライター。血液型はB型。アーティスト名は「Hanna」と表記されることも多い。, 田中 麻衣美(たなか まいみ、1982年8月11日 - )は、新潟県新潟市出身の元モデルで、現在は日本競輪選手会新潟支部所属の女子競輪選手。現姓、我孫子。登録地は新潟。愛称はまいみん。血液型はB型。, 捧 匡子(ささげ きょうこ、1969年8月13日 - )は、埼玉県出身のバドミントン選手。, 稲野 和子(いなの かずこ、1935年1月3日 - 2014年12月18日)は、日本の女優。本名は福田和子。新潟県新潟市出身。夫は演出家・脚本家の福田陽一郎。, 阿部 航斗(あべ こうと、1997年8月1日 - )は、新潟県出身のサッカー選手。筑波大学所属。ポジションは、ゴールキーパー。, 酒井 高聖(さかい ごうそん、1996年3月20日 - )は、新潟県三条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションは、ディフェンダー(センターバック)。, 川口 尚紀(かわぐち なおき、1994年5月24日 - )は、新潟県長岡市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。, 西村 竜馬(にしむら りょうま、1993年7月2日 - )は、長野県伊那市出身のサッカー選手。アルビレックス新潟所属。ポジションはディフェンダー。, 渡辺 泰広(わたなべ やすひろ、1992年10月4日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。JAPANサッカーカレッジ所属。ポジションはGK。, 平松 宗(ひらまつ しゅう、1992年11月20日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはFW。, 酒井 高徳(さかい ごうとく、1991年3月14日 - )は、新潟県三条市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・ハンブルガーSV所属。現日本代表。ポジションはディフェンダー(サイドバック)。, 奥山 武宰士(おくやま むさし、1991年5月15日 - )は、東京都八丈町出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。, 川村 優理(かわむら ゆうり、1989年5月17日 - )は、新潟県新潟市出身の女子サッカー選手。現在はNWSLのノースカロライナ・カレッジに所属。新潟医療福祉大学出身。サッカー日本女子代表。ポジションはディフェンダーまたはミッドフィールダー。, 若林 舞衣子(わかばやし まいこ、1988年6月9日 - )は、新潟県加茂市出身の女子プロゴルファー。ヨネックス所属。身長165cm。開志学園高等学校卒業。, 池田 駿(いけだ しゅん、1992年11月29日 - )は、新潟県出身のプロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ所属。, 石川 慧(いしかわ けい、1992年9月30日 - )は、新潟県出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。, 西田 光(にしだ ひかる、1987年9月14日 - )は、日本のプロボクサー。第60代日本ミドル級王者。第46代OPBF東洋太平洋ミドル級王者。新潟県新潟市出身。川崎新田ボクシングジム所属。, 富田 美里(とみた みさと、1986年11月4日 - )本名:山崎 美里(旧姓・富田)は、日本の元シュートボクサー、女性キックボクサー。新潟県佐渡市出身。, 石塚 正人(いしづか・まさと、1984年9月22日 - )は、日本のハンドボール選手。新潟県出身。, 小林 高也(こばやし たかや、1984年2月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手・育成選手)。, 廣川 明美(ひろかわ あけみ、1983年1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元青森テレビ・新潟総合テレビ(NST)アナウンサー。, 長谷川 慶子(はせがわ けいこ、1977年5月29日 - )は、元テレビ新潟アナウンサー、元NHK新潟放送局キャスター。, マッスル坂井(マッスルさかい、1977年11月5日 - )は、日本のプロレスラー、実業家、映像作家。坂井精機専務取締役。本名:坂井 良宏(さかい よしひろ)。有限会社DDTテック(現:株式会社TEC)元代表取締役でありマッスルを主宰。, 小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - )は、広島県生まれ、新潟県育ちの元プロ野球選手(投手)。現在は広島東洋カープ一軍投手コーチ。, TOKU(トク、1973年2月20日 - )は、日本の男性歌手、フリューゲルホルン奏者。, 平川 大輔(ひらかわ だいすけ、1973年6月4日 - )は、日本の男性声優、歌手、ナレーター。フリー。, 帯 純也(おび じゅんや、1972年-)はTBSテレビ制作局所属のテレビプロデューサー。新潟県新潟市出身。, 石栗 建(いしぐり たつる、1971年10月16日 - )は、新潟県出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認B級ライセンスを有する。, 伊藤 奈穂子(いとう なおこ、1971年1月4日 - )は、フリーアナウンサー、キャスター(元テレビ新潟アナウンサー)。, 近藤 丈靖(こんどう たけやす、1971年10月1日 - )は、新潟放送に所属するアナウンサー。, 難波章浩(なんば あきひろ、1970年6月9日 - )(血液型はO型)は日本のミュージシャン。Hi-STANDARD、NAMBA69のボーカル・ベースを担当。, 山田 芳裕(やまだ よしひろ、1968年1月7日 - )は、日本の漫画家。新潟県新潟市出身。, 若松 英輔(わかまつ えいすけ、1968年 - )は、日本の批評家、「三田文学」編集長(13年10月~15年12月)。読売新聞読書委員(13年12月~15年12月)。, 大竹 芳夫(おおたけ よしお、1965年 - )は、日本の言語学者。専門は英語学、応用言語学。新潟大学教授。博士(応用言語学)。日本英語学会評議員、英語語法文法学会運営委員。, 伊藤 俊人(いとう としひと、1962年2月16日 - 2002年5月24日)は、新潟県新潟市出身の日本の俳優。左利き。, サトシン(本名:佐藤 伸)は日本の絵本作家。1962年、新潟県出身。広告制作会社に勤務した後、専業主夫生活に入る。フリーランスのコピーライターで在宅仕事を始めたのち、絵本作家活動に入る 。大垣女子短期大学客員教授。, 近 正仁(こん まさひと、1959年3月18日 - )は、新潟テレビ21の元アナウンサー。新潟県新発田市出身。, 藤沢 周(ふじさわしゅう、1959年1月10日 - )は日本の小説家、法政大学教授。, 鍵冨 徹(かぎとみ とおる、1957年9月7日 - )は、新潟放送(BSN)の社員・ラジオパーソナリティ。, 近藤 基彦(こんどう もとひこ、1954年2月15日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)。父は衆議院議員・農林水産大臣を務めた近藤元次。, 中野 不二男(なかの ふじお、1950年10月23日 - )は、日本のノンフィクション作家、科学・技術ジャーナリスト。, 間 章(あいだ あきら、1946年8月18日 - 1978年12月12日)は、音楽評論家。新潟県生まれ。立教大学中退。1969年よりフリー・ジャズを中心とした音楽批評活動を展開し、イベントやレコードのプロデュース活動を行った。1978年12月12日、脳出血により死去。享年32。, 新井 満(あらい まん、1946年5月7日 - )は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ、北海道亀田郡七飯町在住。本名:滿(みつる)。, 伊藤 泰世(いとう やすよ、1943年6月18日 − 2006年10月13日)は、日本のホルン奏者。, 谷 明(たに あきら)は、日本のモデラー(原型師)。ガレージキットメーカー海洋堂所属。『ファイブスター物語』に登場する巨大ロボット「モーターヘッド(MH)」造形や戦車食玩「ワールドタンクミュージアム(WTM)」の原型製作で知られる。その精密極まりないメカ造形から「天才・谷明」と呼ばれる事が多い。, 市野瀬 瞳(いちのせ ひとみ、1984年12月25日 - )は、中京テレビ放送のアナウンサー。茨城県生まれ、新潟県新潟市育ち[要出典]。, 魚喃 キリコ(なななん キリコ、1972年12月14日 - )は、日本の漫画家。西蒲原郡吉田町(現・新潟県燕市)出身。新潟清心女子高等学校、日本デザイン専門学校出身。, 林 妙(はやし たえ、1972年7月31日-)は、フリーアナウンサー、ビープロデュース所属。, 鷲尾 いさ子(わしお いさこ、本名:中村 いさ子・1967年4月1日 - )は、日本の女優である。所属事務所は、ナウファッションエージェンシー→フライングボックスを経て、2010年からは夫で俳優の仲村トオルとともに株式会社KITTOを設立し、所属している。, 飯塚 悟史(いいづか さとし、1996年10月11日 - )は、新潟県上越市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。, 髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手・育成選手)。, 横山 龍之介(よこやま りゅうのすけ、1988年9月29日 - )は、新潟県中蒲原郡小須戸町(現:新潟市秋葉区)出身の元プロ野球選手(投手)。, 渡辺 真弓(わたなべ まゆみ、1983年6月6日 - )は、日本の陸上競技選手。日本文理高等学校、福島大学卒業。東邦銀行所属。, 本間 忠(ほんま ただし、1977年8月5日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。, 吉田 篤史(よしだ あつし、1970年9月29日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。, 栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、新潟県新発田市出身の元プロ野球選手(投手)。, 村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木幸子、1958年10月21日 - 1990年7月23日)は、新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身の演歌歌手。, 諏訪部 貴大(すわべ たかお、1988年7月31日 - )は、新潟県出身の元アマチュア野球選手(投手)。, 今井 啓介(いまい けいすけ、1987年5月24日 - )は、新潟県栃尾市(現在の長岡市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は広島東洋カープに所属。, 佐藤 公威(さとう きみたけ、1984年4月23日 - )は、新潟県長岡市出身のプロバスケットボール選手である。日本男子プロバスケットボールリーグB.LEAGUEの新潟アルビレックスBBに所属している。ポジションはシューティングガード。186cm、84kg。, 長谷川 徳海(はせがわ よしうみ 1984年8月23日 - )は、日本の男子ビーチバレーボール選手。新潟県長岡市出身。身長187㎝、体重86㎏、血液型A型。, 河本 耕平(かわもと こうへい、1979年10月6日 - )は、日本の男子競泳の選手。, SABE(さべ、1968年3月23日 - 2009年1月28日)は、日本の漫画家。新潟県長岡市出身。男性。, 徳永政夫(とくなが まさお、1956年8月15日 - )は、北九州市立大学の教授である。日本の新潟県南魚沼市出身[4]。, 今井 雄太郎(いまい ゆうたろう、1949年8月4日 - )は、新潟県長岡市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。愛称は「雄ちゃん」「雄さん」など。, ヒラサワンダ(HirasawondeR)は、日本の作曲家、編曲家、トラックメイカー、音楽プロデューサー、ギターリスト。新潟県出身、AB型。, 小塚 和季(こづか かずき、1994年8月2日 - )は、新潟県見附市出身のサッカー選手。ポジションはMF。, 酒井 宣福(さかい のりよし、1992年11月9日 - )は、新潟県三条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはMF。, 斉藤 匠(さいとう たくみ、1989年11月12日 - )は、新潟県長岡市(旧与板町)出身のサッカー選手。新潟県サッカーリーグ1部・長岡ビルボードFC所属。 ポジションは、MF。, 中村 真衣(なかむら まい、1979年7月16日 - )は、新潟県長岡市出身の元水泳選手。, 野猿(やえん)は、フジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』から生まれた音楽ユニット。1998年4月29日デビュー、2001年5月13日に解散。とんねるずとその番組のスタッフから構成されていたため、解散のことを「撤収」と呼んだ。撤収理由は、本業の人事異動などによる。, 星 瑞枝(ほし みずえ、1985年9月2日 - )は、日本のアルペンスキー選手。新潟県魚沼市(旧:北魚沼郡湯之谷村)出身。トリノオリンピック日本代表。, 片山 愁(かたやま しゅう、1965年1月25日 - )は、日本の漫画家。新潟県上越市出身。, 間嶋 里美(まじま さとみ、1955年4月22日 - )は、1970年代から1980年代の日本の女性声優。, 皆川 賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 - )は、日本のアルペンスキー選手。主に回転で活躍している。新潟県関根学園高校から北海道北照高校二年次編入後卒業、日本体育大学体育学部体育学科卒業(特別卒業認定)。日体大2年次に長野オリンピックに初出場、ソルトレイクシティオリンピック、トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック4大会連続日本代表。ソチオリンピック回転競技NHK解説者。マネジメント契約先はスポーツビズ。, 関根 萬司(せきね まんじ 、1863年2月17日(文久2年12月29日) - 1924年(大正13年)4月27日)は、日本の教育者。越後国刈羽郡北条村小島(現:新潟県柏崎市大字小島)出身。, 高橋 聡(たかはし さとし、1984年3月11日 - )は、新潟県出身のサッカー選手。 ポジションはFW。, キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 - )は、春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。新潟県西蒲原郡吉田町(現:燕市)出身。本名は小澤 正志(おざわ まさし)。キラー・カンとも表記される。大相撲時代の四股名は越錦(こしにしき)で、最高位は幕下40枚目。, 三輪 悟(みわ さとる、1945年9月18日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。, 佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。日本映画大学名誉学長。本名、飯利忠男。.
橋本光夫(はしもと みつお、1949年4月12日 - )は、日本の実業家。元浦和レッドダイヤモンズ(三菱自動車フットボールクラブ)代表取締役社長、元ラグビー選手。新潟県出身。 4月12日生まれの人 1949年生まれの人: 266 叶精作 新潟市の出身: Wikipedia 新潟県出身 の人物一覧 ... 稀勢の里寛 - 元大相撲 力士(第72代横綱)。茨城県 牛久市出身。母親が県内出身。 小橋正義 - 競輪選手、岡山県 玉野市出身、現在の選手登録地が当県。 反町康治 - 元サッカーu-22日本代表監督、現:松本山雅fc監督。両親共に県内出身。2001年から2005 羽黒山 政司(はぐろやま まさじ、1914年11月18日 - 1969年10月14日)は、新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(現:新潟県新潟市西蒲区)出身の元大相撲力士。第36代横綱。本名は小林 正治(こばやし まさじ)[1]。, 1914年11月18日に新潟県西蒲原郡松長村(現:新潟県新潟市西蒲区)で農家を営む家に三男として生まれる。地元・新潟県の土地相撲で活躍した父親の血を引いたのか、幼少期から大兵だった。当時、新潟では風習で風呂屋の主人を志すことがあり、平成時代に入ってからも東京都内の銭湯の経営者は新潟出身者で占められている。正治少年も1929年に上京して、伯母が両国で経営していた銭湯「朝日湯」へ奉公に出て三助をやっていた[2][3]。, 正治少年が三助として奉公に出てからしばらくしたある日、「銭湯の三助が怪童」との噂を聞きつけた、朝日湯の隣にあった錦嶌部屋から熱心にスカウトされたが、三助で食べていくために丁寧に断り続けた。しかし今度は正治少年の噂を聞きつけた立浪から連日のようにスカウトを受けたが、度重なる攻勢に正治少年は次第に心を閉ざし、伯父の経営する世田谷区の風呂屋へ逃げ込んだ。しかし立浪は、逃げ込んだ世田谷の風呂屋にまで足を運んで正治少年をスカウトし続け、「横綱になればもっと親孝行が出来るぞ」「相撲取りはいいぞ。全国を見物して歩けるし、出世すれば田畑を買って親を喜ばすこともできる」との言葉に心が動き、ついに立浪部屋へ入門を決意した[2][3]。, 最初から出身地に因んだ「羽黒山」の四股名で(大字が羽黒だった)、1934年1月場所で初土俵を踏む。初土俵に関しては、1月場所直前に双葉山との稽古で右足を捻挫したため同年6月場所まで待ったという説もある[3]。これ以降、双葉山定次の胸を借りながら徐々に力を付け、序ノ口から幕下まで4場所で通過し、さらに関取増員の影響もあって僅か3年後の1937年1月場所には十両へ昇進した。その十両も僅か1場所で通過し、初土俵から所要7場所という最速で、1937年5月場所には新入幕を果たした[2][3]。入幕まで連続優勝を果たした力士は初であり、2017年時点でも他に出ていない[3]。, 入幕後も羽黒山のスピード出世は止まらず、平幕2場所、小結2場所、関脇1場所で1939年5月場所後には大関に昇進する。大関で一場所だけ途中休場(1940年5月場所)があったが、1941年1月場所は前田山の張り手戦法に屈した黒星だけの14勝1敗で双葉山と優勝同点[4]、5月場所もやはり14勝1敗で2敗の双葉山をおさえて初の幕内最高優勝を果たし[5]、場所後に横綱昇進。大関も4場所での通過となった[3]。, 横綱昇進後は皆勤さえすれば必ず優勝争いに絡む安定した強さを示したものの、ちょうど双葉山が円熟期を迎えており(羽黒山の新横綱場所から4連覇)、しばらくはその陰に隠れた存在に甘んじた。横綱6場所目、後楽園球場での開催となった1944年5月場所で10戦全勝、1敗の双葉山をおさえてようやく横綱として初、通算2度目の優勝を果たす。, 双葉山が現役でいた間、双葉山と1勝差で優勝を逃すこと2度、優勝同点1度、逆に2度の優勝はともに双葉山を1勝差でおさえてのものだった。2度目の優勝の頃からは「もう双葉山より強いのではないか」という声も聞かれるようになった。, 第二次世界大戦の敗戦とともに双葉山が引退すると、名実ともに第一人者として戦後の復興真っ只中の相撲界を支えた。1945年11月場所から4連覇・32連勝を記録したが、その間に立浪の娘だった妻と長男を相次いで亡くす悲劇に見舞われ、その悲しみを乗り越えて全勝優勝を果たした(1946年11月場所)[2][3][1][6][7]。それ以外にも、戦時中の食糧難により体重が90kg台前半まで落ちたことがあるなど苦難を経験している[8]。, その後も羽黒山にはアクシデントが続く。1948年4月23日の五條巡業で照國と取り組みを行った際に右アキレス腱を断裂、当時の日本の外科の権威によって手術が行われたが、半月程は下駄を履いて歩くのにも難儀した[9]。さらに同年7月の北海道巡業で横綱土俵入りを行った際、四股を踏んだ途端に同じ箇所を再び断裂してしまった。すでに羽黒山は30代に入っており、その後も後遺症で休場するなど再起が絶望視された[2]が、周囲が引退に反対していたため続投[8]。1949年5月場所で復帰し、11勝4敗で何とか踏みとどまったが、既に羽黒山のかつての勢いは失われたと思われた。しかし、1952年1月場所で最後の優勝を全勝で飾り、この時37歳2ヶ月で最高齢での全勝優勝記録となっている[10]。この場所千秋楽の千代の山戦は、千代の山の激しい突きに羽黒山も応戦、右のど輪で攻め立てて左下手廻しを引くや、大きく下手投げを放ち快勝、という内容であった[11]。, 1952年12月16日に師匠・立浪が亡くなると、現役のまま二枚鑑札で立浪部屋を継承した[3]。1953年1月場所4日目、二瀬山勝語との取組中に右手親指が二瀬山の口に入り、そのまま強く噛まれて骨折した。このまま休場かと思われたが、この時は照國萬藏が前日に引退を表明したばかりで、東富士欽壹・千代の山雅信も不振だったため休むに休めず、折れた指に添え木と包帯を当て痛み止めを打ちながら土俵に上がる(添え木は土俵に上がる際に外した)など、悲愴な土俵を務めた。この場所は新鋭・栃錦清隆と対戦したが、この取り組みが行われた日は再婚した妻の長男が誕生した日でもある[2]。1953年9月場所は全休のまま、この場所限りで現役を引退した。, 引退後は年寄専任となったが、現役時代から後進の育成に熱心で若羽黒朋明を大関に昇進させたほか、立浪襲名中には時津山仁一・安念山治・若浪順と若羽黒をそれぞれ幕内優勝者に育てた。時津山・安念山・若羽黒に北の洋昇を加えた4人は「立浪四天王」と謳われたほどであるほか、吉葉山潤之輔を始めとした部屋の内外を問わず若手力士に胸を貸し、成長に貢献した点は特筆される。日本相撲協会の取締・理事も務めた[1]。部屋の師匠としては多くの親方衆を含め、各力士の素質を活かし伸び伸びとその個性を土俵上で発揮させる指導を行い、それが立浪部屋の伝統となった。弟子勧誘については「相撲でいいやつが一人出てどんどん勝つと、やっぱり地方から訪ねてくるもの。『この部屋にはいいのがいるから入門したい』って、地方から手紙が来ますよ。それから(逆に)地方の知っている人にはほうぼう手紙を出しておいて、新弟子を世話してもらったりしてね。そうでなければ、若いもんは増えませんワ」と話していた[12]。, 1969年10月14日、東京都新宿区にある慶應義塾大学病院にて尿毒症により没した。54歳没[3]。立浪部屋は、羽黒山の長女と結婚した安念山が継いだ。, 優勝回数は7度だが、長く上に双葉山が存在して同部屋であるだけに直接対戦が無かったことと、年2-3場所時代の力士である上に、最盛期に戦後の混乱で場所の開催もままならなかった時期のあること、そしてアキレス腱断裂などで随分損をしており、実質的に歴代横綱の中でもA級の強豪として評価する声が少なくない[3]。加えて当時は優勝決定戦が無い代わりに同点者は上位優勝という制度があり、これで優勝を逸したこともあった(1941年1月場所)。32連勝は当時双葉山の69連勝と36連勝に次いで昭和以降3位(現在は11位タイ)、敗戦直後の時期に達成した記録であり数字以上の評価がなされている。太平洋戦争や双葉山道場立ち上げの影響により最大70人近くいた所属力士数が一時期20人前後にまで減った立浪部屋の勢いを名寄岩と共に取り戻した力士でもある[12]。, 2度のアキレス腱断裂から奇跡的に復活、豪快な横綱土俵入り(不知火型)で人気だった。土俵入りに関しては掌を前面に向けて押し出しながら掬いあげるようせり上げていることから『重たい岩をも支える腕の形』を表わしているとして、やくみつるは不知火型の(さらに言えばせり上がりそのものの)本質に従った良い見本として評価した。[13]やくみつるは輪島以降このせり上がりの本質が顕著に失われていったと批判し、白鵬や日馬富士といった不知火型の継承者をその典型例として提示し、「掌を真下に向けている」と指摘した。土俵理入りの型は太刀山と同郷のため昵懇でよく碁を打っていた立浪が「もし羽黒山が横綱になったら、不知火型をやらせてくれ」と頼んだという[14]。, 横綱在位30場所は、2代目梅ヶ谷の24場所を凌ぐ当時の最長記録であり、年6場所制以前に引退した横綱としての最長記録でもある[15]。, 羽黒山の最多連勝記録は、32連勝である。(1945年6月場所6日目:安藝ノ海節男戦 - 1947年6月場所7日目:汐ノ海運右エ門戦まで) ※不戦勝制度導入後5位タイ, 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)20ページから22ページ, 妻が死去したことに関しては「昭和21年の4月23日に女房が亡くなって、5月13日に子供が死んだんだ。21日目に長男を取られたんですが、その時巡業に出てたが、自分は横綱だったから部屋から電報が来ても休ませてくれなかったね。女房が亡くなった時は、わしらが岩国の方に巡業に行ってた時だったけど、そこで夜、電報を受け取ったんです。けどその晩は嵐で汽車が不通なんだ。仕方がないから次の日の昼間の急行に乗ったんですが、それも勧進元が『土俵入りだけはしてくれ』って言うもんだから土俵入りして飛び乗ったんです。だから東京に帰ったのは、女房が死んだ次の次の日。わしが部屋に入ったらちょうどお葬式の最中。お経が始まっていたところでした。女房の葬式を済ませてすぐ三重県の桑名へ巡業に出たんですが、そこからずっと東海道を打ちながら、御殿場まで来た時に、今度は『コドモキトク』の電報を受け取ったんです。跳んで帰ってきたら今手術をしたというところで、まだ息をしてました。わしが子供の手をつかんでやるとフッと目を開いて『とうちゃん、とうちゃん』って、手を離さなかったな。手を握ったまま死んで行ったです」と語っている。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=羽黒山政司&oldid=77383627, 横綱として強いだけでなく、他の力士の危機を救った人格者としても知られる。大関時代、幕下の, 新三役に上がる頃までは左差し右前ミツになって頭を付ける相撲を取っていたが、大関になる頃から新聞などで取り口が上位力士らしくないという批判を受け、受けて立つ相撲に変わった。怪力の印象が強いが、本人は実際に重い物を持ち上げて周囲を驚かせたことなどなかったと1956年の小島貞二との対談で語っている, ただ一度16尺土俵で開催された1945年11月場所で優勝しており、15尺土俵と16尺土俵の2つで幕内最高優勝の経験を持つ唯一の力士ということになる, 「双葉山がいなければ、羽黒山が一時代を築いていた」という見方もあるが、彼の強さは双葉山との, 終身に渡り新潟弁が顕著であったことで知られ、これを完全に理解できる人間は相撲界に誰一人といなかったと伝わる。普通の人には4割から5割程度しかわからなかったが、弟子の黒姫山は7割から8割は分かるので、新潟弁の通訳を行っていた。その黒姫山は地方場所に行けば付け人でもないのに必ず呼ばれ、給仕を行っていた. 新潟県出身の現役力士一覧!新潟出身力士の番付や星取表、成績など基礎情報がまとめて分かる。さらに各力士の詳細プロフィール付き。最新場所と過去6場所の成績も一挙公開。新潟県出身力士の本場所15日間を応援するのに最適な力士データ満載です。 1934年初土俵。1941年、第36代横綱昇進。12年という長期に渡り横綱をつとめた。優勝7回。なかでも1952年の1月場所では37歳で全勝優勝。1953年現役引退。余談ながら、東京の銭湯経営者には新潟県出身者が多く、昭和40年代には都内にあった銭湯およそ2700軒のうち約1200軒が新潟県人によるもの … - 1982年12月16日)は、日本の物理学者。素粒子論および場の量子論を専攻。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。, 本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。, 北 昤吉(きた れいきち、1885年7月21日 - 1961年8月5日)は、日本の思想家・評論家・政治家・教育者。鴨湖、光永、禮華と号す。北一輝の実弟。, 北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。, 八田 三喜(はった みき、1873年 - 1962年)は、日本の教育者。 息子は演出家の八田元夫と教育者の八田亭二。, 立岩 真也(たていわ しんや、1960年8月16日 - )は、日本の社会学者。立命館大学先端総合学術研究科教授。, 竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 - )は、日本の社会学者(教育学博士)。専門は、教育社会学。京都大学教育学部名誉教授。関西大学名誉教授。, 余湖三千雄(よご みちお、1943年4月4日 - )は、日本の教育者。元鹿島学園高等学校理事長兼学校長。, 安田 辰昭(やすだ たつあき、1938年 - 2008年2月21日)は、日本の高校野球指導者、教員。小千谷高野球部監督、新発田農高野球部監督、新潟県高校野球連盟理事長などを歴任した。, 松井 美緒(まつい みお、旧姓:菊池、1974年1月15日 - )は、日本のタレント。夫はプロ野球選手の松井稼頭央。, 越乃 リュウ(こしの りゅう、1973年7月23日- )は、元宝塚歌劇団月組の男役。元月組組長。, 佐藤 恵(さとう めぐみ、1966年9月13日 - )は、新潟県新潟市出身の日本の元女子走高跳選手で、元日本記録保持者。中学時代より高い身体能力で日本女子の跳躍界を席巻した。, 岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生の田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。新潟市立沼垂高等学校(現新潟市立万代高等学校)卒業。, 馬場 ふみか(ばば ふみか、1995年6月21日 - )は、日本のモデル、女優である。新潟県新潟市出身[注 1]。ネイムマネジメント(旧エリートジャパン)東京本社所属。, 高山 侑子(たかやま ゆうこ、1992年10月13日 - )は日本のファッションモデル、タレント、女優。愛称は、侑子りん(ゆうこりん)。, 笹川 美和(ささがわ みわ、1983年2月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家である。, RAN(らん、1982年1月3日 - )は、日本の漫画家。新潟県出身。敬和学園高等学校出身。日本アニメ・マンガ専門学校卒業。, 笛田 博昭(ふえた ひろあき、1978年10月8日 - )は、日本の声楽家 (テノール)。新潟県南魚沼郡湯沢町大字湯沢字上熊野出身。, 柳下 容子(やぎした ようこ、1976年9月9日 - )は、新潟県新潟市出身の元チアリーダー。身長:156cm、血液型:AB型。東京女子体育短期大学卒業。, 日本の写真家 テレビドラマ、日本映画、海外映画{Foxjapan}などのポスター撮影、TOYOTA、味の素、JR東日本などの広告撮影を手掛ける。, 羽田 雄一郎(はた ゆういちろう、1967年7月29日 - )は、日本の政治家。学位は学士(玉川大学・1992年)。民進党所属の参議院議員(4期)、民進党団体交流委員長。, こいし さとし(こいし さとし、1965年11月23日 - )は、日本の漫画家。別名:小石さとし、小石諭。本名、小石諭。 新潟県新潟市中央区出身。敬和学園高等学校卒業後、東京デザイナー学院卒。, 鈴木 雅久(すずき まさひさ、1960年6月18日 - )は、イラストレーター。新潟県新潟市出身。敬和学園高等学校卒。, 遠藤 由華(えんどう ゆか、1991年9月30日 - )は新潟県新潟市出身の新体操選手。2008年北京オリンピック代表(新体操団体)。日本女子体育大学←新潟第一高校/STELLA 所属。身長166.5 cm。, 小竹 尚子(こたけ なおこ、1970年11月1日 -)は新潟県出身の日本の柔道家。56kg級及び61kg級の選手。身長165cm。, 細野 真宏(ほその まさひろ)は新潟県出身の予備校講師、経済解説者、映画評論家。受験予備校Hosono's Super School主宰。, 有田 光成(ありた こうせい、1993年9月6日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。サッカー選手の有田光希は実兄。, 早川 直樹(はやかわ なおき、1992年4月3日 - )は、2016年現在トップリーグヤマハ発動機ジュビロに所属するラグビー選手。, 有田 光希(ありた こうき、1991年9月23日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。愛媛FC所属。, 大野 和成(おおの かずなり、1989年8月4日 - )は、新潟県上越市出身のサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはDF (センターバック)。, 八藤後 裕太(やとうご ゆうた、1986年3月12日 - )は、2016年現在トップリーグNTTコミュニケーションズシャイニングアークスに所属するラグビー選手。, 小山恵生(こやま よしお、1975年11月13日 - )は、日本の元ラグビー選手。, 古川 利行(ふるかわ としゆき、1963年9月24日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。, 本間 愛美(ほんま まなみ、旧姓:坪谷、1986年6月14日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。ポジションはガードフォワード。コートネームは旧姓から取った「ツボ」。新潟県五泉市出身。, 猪又 秀和(いのまた ひでかず、1984年3月14日 -)は新潟県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は185cm。組み手は右組み。得意技は大外刈。, 小林 志郎(こばやし しろう、1982年4月23日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は円盤投。円盤投の元日本学生記録保持者。円盤投および砲丸投の新潟県記録保持者でもある。, 高橋 裕二郎(たかはし ゆうじろう、1981年1月13日 - )は、日本の男性プロレスラー、俳優。日本体育大学卒業。新潟県新潟市出身。新日本プロレス所属。, 天尾 美貴(あまお みき、1976年8月22日 -)は新潟県西蒲原郡出身の日本の柔道家。現役時代は70kg級の選手。身長164cm。得意技は内股、大内刈。, 奥山 達之(おくやま たつゆき、1976年1月30日 - )は、新潟県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。, 石崎 光(いしざき ひかる、1974年8月30日 - )は、日本の音楽プロデューサー、アレンジャー、ギタリスト、ベーシスト、キーボーディスト。, Hánna(はんな、生年不詳、12月7日生)は、日本国外生まれ、新潟県在住のシンガーソングライター。血液型はB型。アーティスト名は「Hanna」と表記されることも多い。, 田中 麻衣美(たなか まいみ、1982年8月11日 - )は、新潟県新潟市出身の元モデルで、現在は日本競輪選手会新潟支部所属の女子競輪選手。現姓、我孫子。登録地は新潟。愛称はまいみん。血液型はB型。, 捧 匡子(ささげ きょうこ、1969年8月13日 - )は、埼玉県出身のバドミントン選手。, 稲野 和子(いなの かずこ、1935年1月3日 - 2014年12月18日)は、日本の女優。本名は福田和子。新潟県新潟市出身。夫は演出家・脚本家の福田陽一郎。, 阿部 航斗(あべ こうと、1997年8月1日 - )は、新潟県出身のサッカー選手。筑波大学所属。ポジションは、ゴールキーパー。, 酒井 高聖(さかい ごうそん、1996年3月20日 - )は、新潟県三条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションは、ディフェンダー(センターバック)。, 川口 尚紀(かわぐち なおき、1994年5月24日 - )は、新潟県長岡市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。, 西村 竜馬(にしむら りょうま、1993年7月2日 - )は、長野県伊那市出身のサッカー選手。アルビレックス新潟所属。ポジションはディフェンダー。, 渡辺 泰広(わたなべ やすひろ、1992年10月4日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。JAPANサッカーカレッジ所属。ポジションはGK。, 平松 宗(ひらまつ しゅう、1992年11月20日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはFW。, 酒井 高徳(さかい ごうとく、1991年3月14日 - )は、新潟県三条市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・ハンブルガーSV所属。現日本代表。ポジションはディフェンダー(サイドバック)。, 奥山 武宰士(おくやま むさし、1991年5月15日 - )は、東京都八丈町出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。, 川村 優理(かわむら ゆうり、1989年5月17日 - )は、新潟県新潟市出身の女子サッカー選手。現在はNWSLのノースカロライナ・カレッジに所属。新潟医療福祉大学出身。サッカー日本女子代表。ポジションはディフェンダーまたはミッドフィールダー。, 若林 舞衣子(わかばやし まいこ、1988年6月9日 - )は、新潟県加茂市出身の女子プロゴルファー。ヨネックス所属。身長165cm。開志学園高等学校卒業。, 池田 駿(いけだ しゅん、1992年11月29日 - )は、新潟県出身のプロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ所属。, 石川 慧(いしかわ けい、1992年9月30日 - )は、新潟県出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。, 西田 光(にしだ ひかる、1987年9月14日 - )は、日本のプロボクサー。第60代日本ミドル級王者。第46代OPBF東洋太平洋ミドル級王者。新潟県新潟市出身。川崎新田ボクシングジム所属。, 富田 美里(とみた みさと、1986年11月4日 - )本名:山崎 美里(旧姓・富田)は、日本の元シュートボクサー、女性キックボクサー。新潟県佐渡市出身。, 石塚 正人(いしづか・まさと、1984年9月22日 - )は、日本のハンドボール選手。新潟県出身。, 小林 高也(こばやし たかや、1984年2月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手・育成選手)。, 廣川 明美(ひろかわ あけみ、1983年1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元青森テレビ・新潟総合テレビ(NST)アナウンサー。, 長谷川 慶子(はせがわ けいこ、1977年5月29日 - )は、元テレビ新潟アナウンサー、元NHK新潟放送局キャスター。, マッスル坂井(マッスルさかい、1977年11月5日 - )は、日本のプロレスラー、実業家、映像作家。坂井精機専務取締役。本名:坂井 良宏(さかい よしひろ)。有限会社DDTテック(現:株式会社TEC)元代表取締役でありマッスルを主宰。, 小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - )は、広島県生まれ、新潟県育ちの元プロ野球選手(投手)。現在は広島東洋カープ一軍投手コーチ。, TOKU(トク、1973年2月20日 - )は、日本の男性歌手、フリューゲルホルン奏者。, 平川 大輔(ひらかわ だいすけ、1973年6月4日 - )は、日本の男性声優、歌手、ナレーター。フリー。, 帯 純也(おび じゅんや、1972年-)はTBSテレビ制作局所属のテレビプロデューサー。新潟県新潟市出身。, 石栗 建(いしぐり たつる、1971年10月16日 - )は、新潟県出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認B級ライセンスを有する。, 伊藤 奈穂子(いとう なおこ、1971年1月4日 - )は、フリーアナウンサー、キャスター(元テレビ新潟アナウンサー)。, 近藤 丈靖(こんどう たけやす、1971年10月1日 - )は、新潟放送に所属するアナウンサー。, 難波章浩(なんば あきひろ、1970年6月9日 - )(血液型はO型)は日本のミュージシャン。Hi-STANDARD、NAMBA69のボーカル・ベースを担当。, 山田 芳裕(やまだ よしひろ、1968年1月7日 - )は、日本の漫画家。新潟県新潟市出身。, 若松 英輔(わかまつ えいすけ、1968年 - )は、日本の批評家、「三田文学」編集長(13年10月~15年12月)。読売新聞読書委員(13年12月~15年12月)。, 大竹 芳夫(おおたけ よしお、1965年 - )は、日本の言語学者。専門は英語学、応用言語学。新潟大学教授。博士(応用言語学)。日本英語学会評議員、英語語法文法学会運営委員。, 伊藤 俊人(いとう としひと、1962年2月16日 - 2002年5月24日)は、新潟県新潟市出身の日本の俳優。左利き。, サトシン(本名:佐藤 伸)は日本の絵本作家。1962年、新潟県出身。広告制作会社に勤務した後、専業主夫生活に入る。フリーランスのコピーライターで在宅仕事を始めたのち、絵本作家活動に入る 。大垣女子短期大学客員教授。, 近 正仁(こん まさひと、1959年3月18日 - )は、新潟テレビ21の元アナウンサー。新潟県新発田市出身。, 藤沢 周(ふじさわしゅう、1959年1月10日 - )は日本の小説家、法政大学教授。, 鍵冨 徹(かぎとみ とおる、1957年9月7日 - )は、新潟放送(BSN)の社員・ラジオパーソナリティ。, 近藤 基彦(こんどう もとひこ、1954年2月15日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)。父は衆議院議員・農林水産大臣を務めた近藤元次。, 中野 不二男(なかの ふじお、1950年10月23日 - )は、日本のノンフィクション作家、科学・技術ジャーナリスト。, 間 章(あいだ あきら、1946年8月18日 - 1978年12月12日)は、音楽評論家。新潟県生まれ。立教大学中退。1969年よりフリー・ジャズを中心とした音楽批評活動を展開し、イベントやレコードのプロデュース活動を行った。1978年12月12日、脳出血により死去。享年32。, 新井 満(あらい まん、1946年5月7日 - )は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ、北海道亀田郡七飯町在住。本名:滿(みつる)。, 伊藤 泰世(いとう やすよ、1943年6月18日 − 2006年10月13日)は、日本のホルン奏者。, 谷 明(たに あきら)は、日本のモデラー(原型師)。ガレージキットメーカー海洋堂所属。『ファイブスター物語』に登場する巨大ロボット「モーターヘッド(MH)」造形や戦車食玩「ワールドタンクミュージアム(WTM)」の原型製作で知られる。その精密極まりないメカ造形から「天才・谷明」と呼ばれる事が多い。, 市野瀬 瞳(いちのせ ひとみ、1984年12月25日 - )は、中京テレビ放送のアナウンサー。茨城県生まれ、新潟県新潟市育ち[要出典]。, 魚喃 キリコ(なななん キリコ、1972年12月14日 - )は、日本の漫画家。西蒲原郡吉田町(現・新潟県燕市)出身。新潟清心女子高等学校、日本デザイン専門学校出身。, 林 妙(はやし たえ、1972年7月31日-)は、フリーアナウンサー、ビープロデュース所属。, 鷲尾 いさ子(わしお いさこ、本名:中村 いさ子・1967年4月1日 - )は、日本の女優である。所属事務所は、ナウファッションエージェンシー→フライングボックスを経て、2010年からは夫で俳優の仲村トオルとともに株式会社KITTOを設立し、所属している。, 飯塚 悟史(いいづか さとし、1996年10月11日 - )は、新潟県上越市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。, 髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手・育成選手)。, 横山 龍之介(よこやま りゅうのすけ、1988年9月29日 - )は、新潟県中蒲原郡小須戸町(現:新潟市秋葉区)出身の元プロ野球選手(投手)。, 渡辺 真弓(わたなべ まゆみ、1983年6月6日 - )は、日本の陸上競技選手。日本文理高等学校、福島大学卒業。東邦銀行所属。, 本間 忠(ほんま ただし、1977年8月5日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。, 吉田 篤史(よしだ あつし、1970年9月29日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。, 栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、新潟県新発田市出身の元プロ野球選手(投手)。, 村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木幸子、1958年10月21日 - 1990年7月23日)は、新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身の演歌歌手。, 諏訪部 貴大(すわべ たかお、1988年7月31日 - )は、新潟県出身の元アマチュア野球選手(投手)。, 今井 啓介(いまい けいすけ、1987年5月24日 - )は、新潟県栃尾市(現在の長岡市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は広島東洋カープに所属。, 佐藤 公威(さとう きみたけ、1984年4月23日 - )は、新潟県長岡市出身のプロバスケットボール選手である。日本男子プロバスケットボールリーグB.LEAGUEの新潟アルビレックスBBに所属している。ポジションはシューティングガード。186cm、84kg。, 長谷川 徳海(はせがわ よしうみ 1984年8月23日 - )は、日本の男子ビーチバレーボール選手。新潟県長岡市出身。身長187㎝、体重86㎏、血液型A型。, 河本 耕平(かわもと こうへい、1979年10月6日 - )は、日本の男子競泳の選手。, SABE(さべ、1968年3月23日 - 2009年1月28日)は、日本の漫画家。新潟県長岡市出身。男性。, 徳永政夫(とくなが まさお、1956年8月15日 - )は、北九州市立大学の教授である。日本の新潟県南魚沼市出身[4]。, 今井 雄太郎(いまい ゆうたろう、1949年8月4日 - )は、新潟県長岡市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。愛称は「雄ちゃん」「雄さん」など。, ヒラサワンダ(HirasawondeR)は、日本の作曲家、編曲家、トラックメイカー、音楽プロデューサー、ギターリスト。新潟県出身、AB型。, 小塚 和季(こづか かずき、1994年8月2日 - )は、新潟県見附市出身のサッカー選手。ポジションはMF。, 酒井 宣福(さかい のりよし、1992年11月9日 - )は、新潟県三条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはMF。, 斉藤 匠(さいとう たくみ、1989年11月12日 - )は、新潟県長岡市(旧与板町)出身のサッカー選手。新潟県サッカーリーグ1部・長岡ビルボードFC所属。 ポジションは、MF。, 中村 真衣(なかむら まい、1979年7月16日 - )は、新潟県長岡市出身の元水泳選手。, 野猿(やえん)は、フジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』から生まれた音楽ユニット。1998年4月29日デビュー、2001年5月13日に解散。とんねるずとその番組のスタッフから構成されていたため、解散のことを「撤収」と呼んだ。撤収理由は、本業の人事異動などによる。, 星 瑞枝(ほし みずえ、1985年9月2日 - )は、日本のアルペンスキー選手。新潟県魚沼市(旧:北魚沼郡湯之谷村)出身。トリノオリンピック日本代表。, 片山 愁(かたやま しゅう、1965年1月25日 - )は、日本の漫画家。新潟県上越市出身。, 間嶋 里美(まじま さとみ、1955年4月22日 - )は、1970年代から1980年代の日本の女性声優。, 皆川 賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 - )は、日本のアルペンスキー選手。主に回転で活躍している。新潟県関根学園高校から北海道北照高校二年次編入後卒業、日本体育大学体育学部体育学科卒業(特別卒業認定)。日体大2年次に長野オリンピックに初出場、ソルトレイクシティオリンピック、トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック4大会連続日本代表。ソチオリンピック回転競技NHK解説者。マネジメント契約先はスポーツビズ。, 関根 萬司(せきね まんじ 、1863年2月17日(文久2年12月29日) - 1924年(大正13年)4月27日)は、日本の教育者。越後国刈羽郡北条村小島(現:新潟県柏崎市大字小島)出身。, 高橋 聡(たかはし さとし、1984年3月11日 - )は、新潟県出身のサッカー選手。 ポジションはFW。, キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 - )は、春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。新潟県西蒲原郡吉田町(現:燕市)出身。本名は小澤 正志(おざわ まさし)。キラー・カンとも表記される。大相撲時代の四股名は越錦(こしにしき)で、最高位は幕下40枚目。, 三輪 悟(みわ さとる、1945年9月18日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。, 佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。日本映画大学名誉学長。本名、飯利忠男。.