古くから、日本庭園は自然にある風景を参考に造形されてきました。 すでにあるお庭を、思い切って自分好みの庭にリフォームすることもおすすめです。. ※この物語は、ある日本のおばさんが主人公で、その視点から回想されていく実話国際結婚物語です。, マルコムとの新生活のために借りたマンションは、東京の真ん中にあった。 高台、南向きの、大きなリビングに太陽の光が燦々(さんさん)と射し込む瀟洒(しょうしゃ)な部屋だった。, 【英国紳士と結婚したある日本のおばさんが、この物語を綴り出した全ての始まりは→こちら】 【前回のお話は→こちら!】, ・日本のおばさん「Emma Rosemary Watson」 ・クリント・イーストウッド似の英国紳士「マルコム」, ただし、彼はALSという不治の病で、 余命わずかと診断されていた。 そのような状況でも、 彼は淡々と日本の文化を味わい、 イギリスと比較しながら、 アイロニックに日記に記していく。, 日本にまったく興味のなかった コンサバ英国紳士が、 日本文化を楽しむようになった訳とは?, 動植物などの自然が大好きなマルコムには、コンクリートだらけの都市生活は気の毒だったが、 東京にしてはかなり広大な植物園はマルコムの恰好の散歩場所になった。, そこは江戸時代には、徳川綱吉が将軍になる前に住んでいた屋敷だったとかで、日本庭園や梅園も素晴らしかった。, とはいえ、手放しで気に入っていたというわけでもなかった。 マルコムにとってガーデンというものは、隅々まで庭師によって手入れがされているべきであり、 その植物園のレベルはかなり低いというのだ。, でもそこは大学の研究施設だったので、あまり手を入れてしまっては植物研究施設にならない。 目的が違うのだが、そこをどんなに説明しても彼には理解できなかった。, 「トヨタとかニッサンみたいな金持ち企業が、資金をドンと出して、もっと見栄えのいい庭園にするべきだね」 とマルコムはいつもそういった。, イングリッシュ・ガーデンとは、写真のように、 庭の隅々まで人間の手が入った庭園で、主に花の色でデザインする。, イギリス式庭園は、あまり大きな目立つ花をたくさん植えることはなく、 例えばラベンダーのような細かい花をたくさんつける植物をエリアごとにびっしり植えていく。 色彩のセンスは大事なのだ。, 大輪の花はあくまでもアクセントとしてポイントポイントに植える。 マルコムは自分の庭に3本の牡丹を植えていて、中でも「スカーレット・オハラ」と呼ばれる一つがお気に入りだった。, 一方、日本庭園は、マルコムの言葉を借りれば 「色ではなくランドスケープ、形で見せるんだね」ということになる。, 著作権者:663h,ライセンス:CC BY-SA 3.0,https://goo.gl/XzhCfQ, 確かに日本庭園には限られた色彩しかない。 木々の緑、石類の灰色や黒、池の水に映る空色などだ。 そこに、ポイント的に紅葉や梅、池に遊ぶ緋鯉などの色が映える。, 我が家の隣の植物園にも、日本庭園があって、そこはマルコムのお気に入りだった。 マルコムが面白がったことに、植木の剪定がある。 日本の植木は丸く借り込む程度で、細かな細工はしない。 しかしイギリスの剪定は渦巻きや丸・三角・四角、中には動物をかたどる剪定もある。, イギリス人は園芸大好き人間である。 仕事の後で、週末に、一家総出で庭に出て、園芸を楽しむ。, どんな町にも「ナーサリー」と呼ばれるホームセンターがあり、 膨大な数の植物の苗木を売っている。 休日ともなれば朝からそこにやってきて、花や木の苗をじっくり見た後で、 併設のカフェテリアで多くの時間を過ごす人たちも多い。, 園芸好きのイギリス人は親しい近所の人たちと、好きな苗木の交換なども頻繁にしている。 丹精した庭を見せたくて、日を決めてパブリックに公開している家もあるほどだ。 (入場料を取ってそれをチャリティに寄付するのが通例), また夏になると、ロンドンや近郊では大規模なフラワーショウが開かれ、 全国から趣向を凝らして、形や色をハイブリッドされたたくさんの花が持ち込まれ、飾られる。, そこでは品評会はもちろん、即売会も行われる。 いい賞を受賞すると、園芸者の名誉になるし、苗などの販路も広がるのだのだろう。 植物はナマ物なので、ショウも後半になると植物がくたびれてくる。, だから初日はマスコミや特別ゲストの入場日だが、 2日目以降、なるべく早く出かけた方が花が綺麗と言われる所以だ。 しかし、最終日は植物の大バーゲンとなるため、それを目当てにたくさんの人がやってくる。 両手に抱えきれないほどの植物を運んで帰る人の波は最終日の風物詩だ。, ロンドンで一番有名な「チェルシー・フラワーショウ」では、 タタミ6畳くらいの面積に、園芸デザイナーがミニガーデンをデザインし、賞を競う催しもある。 このショウには毎年クイーンも訪れている。, そんな園芸大国から来たマルコムが、比較的地味な日本庭園文化を理解するにはそれなりの時間が必要だったのだ。, →別のイギリス在住主婦がレポートした「イギリスにある日本庭園」2018年度最新情報, →ガーデニングが趣味なら、ウォーキングも楽しんでみませんか?初心者向け体験レポート記事はこちら!, 2005年ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ、 Transnational Communication and Global Media修士課程終了。 以降、ロンドンにて日英コンテンツの発信を行う。 ロンドン在住中にイギリス人の夫と結婚、 イギリス流のライフスタイルのなかで暮らす。 現在、イギリス人の好むイギリスのカントリーサイドを歩くネイチャーウォークの楽しさを日本人にも知ってもらおうと活動中。, イギリス暮らしを始める方に!知ってて得する節約情報専門サイト「マネー・セービング・エキスパート」. 旅の途中、各地の庭園を訪ねるのも楽しいもの。イギリス式庭園、フランス式庭園の違いに触れつつ、イタリアならではの魅力的な庭園の特徴、そして世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」についてご紹 … 山や丘が多いので、庭園でも斜面を利用することが一般的です。 どんな庭園にしたいのかを伝えるとき、またはガーデニング仲間との会話の際、よく南フランス風やイングリッシュガーデン風などのイメージが挙げられることがあります。 そこで、よく用いられる伝統的な庭園のスタイルとその特徴をご紹介します。, 日本式庭園は、左右非対称であり曲線による造形が特徴となっています。 旅先でもブログをして、読んだ本もブログ記事にして 庭の中にレンガなどを敷き詰めたテラスがあり、そこにテーブルやイス、ベンチなどの家具を置いているような生活観を感じる特徴があります。, このように、それぞれの庭園の特徴はまったく異なったものとなっています。 階段や踊り場を作り、装飾にもこだわります。 きれいに刈り込まれた植え込みで、空や周りの自然を映し出す池があり、整然とされています。 ヨーロッパのガーデニングには、大きく分けて、フランスの『フレンチフォーマルガーデン(フランス式庭園)』とイギリスの『ブリティッシュナチュラルガーデン(イギリス式庭園)』の2つの様 … 世界の国々には、その国で発展した独自の庭や庭園があることは、みなさんご存じだと思います。庭園は、花壇や噴水、樹木などを利用してつくられた、人々が観賞して楽しむための場所です。そのような庭園の様式としてよく知られているものが、フランス式庭園やイギリス式庭園などでしょう。, 以前、イギリス式庭園のことをお話したときにも少し触れましたが、フランス式庭園は、17世紀から18世紀にかけてのフランスで発達した庭園です。とても広い平地につくられた「平面幾何学式庭園」のことを、フランス式庭園と呼びます。具体的な例として「ベルサイユ宮殿の庭園」を挙げると、フランス式庭園がどのような庭園なのか想像しやすくなるのではないでしょうか。フランスにはベルサイユ宮殿の庭園の他にも、「ヴィランドリー城の庭園」など、フランス式庭園として有名な場所がたくさんあります。, そんなフランス式庭園とよく比較されるものが、イギリス式庭園です。曲線を数多く使って、自然の風景のようになだらかな起伏を持つようにつくられた庭がイギリス式庭園です。広大な平地につくられるフランスの平面幾何学式庭園とは違って、なだらかではあるものの、高低を使って自然に見えることの美しさに重きを置いた庭作りをしているものが、イギリス式庭園だと考えるとわかりやすいと思います。, 日本に、こうした西洋風の庭園がつくられるようになったのは、洋館が建てられるようになってからです。たとえば、新宿御苑は、「日本庭園とフランス式庭園とイギリス式庭園」のそれぞれの様式を組み合わせてつくられていることで有名です。. #ホワイトデー ですね! 読者の皆様に、日頃の感謝を込めて、 実話 #国際結婚 物語「おばクリ」の最新話をお届けいたします! 今回はなんと、 #イングリッシュガーデン と #日本庭園 の違いが一目で分かる解説入り! #uk #おばクリ #ガーデニング …, 【新型コロナウイルス】世界各国の現地生レ…, 全国の動物園&水族館 徹底取材レポート特…, イタリア式、フランス式よりも後に確立された様式(18世紀以降), 別荘(ヴィラ)の習慣から発展, 噴水やカスケード(階段滝)など、水を効果的に用いる. まさにブロガー。, ガーデニングの基本!「イギリス式」と「フランス式」2つのガーデンスタイルについて解説. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); イタリア式庭園の影響を受けて、17世紀にフランスで確立されたのが、『フレンチフォーマルガーデン』です。, その特徴は一言で言うと、『整えられた庭』です。個々の草花を楽しむというより整形された美しさを観賞するために作られています。, フランスの平坦な土地を生かしたデザインで、広大な土地に軸線を設定し、左右対称に噴水や花壇、刈り込まれた樹木などを配置するのが特徴です。, ツゲなどの常緑低木で、アラベスク模様や幾何学模様などを再現した『刺繍花壇(パルテール)』や草花でさまざまな模様を描く『模様花壇』もフレンチフォーマルガーデンの特徴です。, 17世紀にはイタリアやフランスの影響を受けた庭が流行しましたが、18世紀になると自然な雰囲気を大切にする庭作りが好まれるようになっていきました。, フレンチフォーマルガーデンとは対照的に、人工的に整えられた風景ではなく、季節ごとに移りゆくありのままの自然の美しさを楽しむために作られています。, 自然をそのまま再現したような『風景式庭園(ランドスケープガーデン)』や、イギリス人が理想とする美しい絵画のような自然美を目指した『絵画的庭園(ピクチャレスクガーデン)』などの庭作りが特徴的です。, また、田舎風の家にナチュラルな庭を作る『コテッジガーデン』は、好きな花やハーブなどを植え、手の行き届く範囲で楽しむガーデンスタイルです。, 建物や壁に沿って帯状に作られた『ボーダーガーデン』もブリティッシュナチュラルガーデンの特徴です。, 整形された美しさを楽しむ『フレンチフォーマルガーデン』に対して、自然のありのままの美しさを再現する『ブリティッシュナチュラルガーデン』。正反対のガーデンスタイルですが、どちらも違った魅力があります。, 最新記事はTwitterで告知しています! 森山ミナトのくだらない呟きをみてあげてもいいという人は、 ぜひ、フォローしてください!, たしかに日本ではイギリスの『イングリッシュガーデン』の方が良く知られているよね!それぞれ違った特徴があるんだよ。, 日本でイングリッシュガーデンが人気なのは、気候や風土に合わせて作られる日本庭園と共通点があるからかもね!, 読書と旅行を満喫するためには時間が必要なことに気がつき、始めたブログに時間をめちゃくちゃ割いている25歳ブロガー。 宇都宮大学フランス式庭園について 「宇都宮大学庭園」(うつのみやだいがくていえん)は2017年に国登録記念物(名勝地関係)に選出された大正時代の洋式庭園。2019年のgw、ツツジの花が咲き始めた4月末に初めて訪れました! このフランス式庭園… そのことは、庭園に作られる池の形に直線的なものがほとんど見られないことに現れています。 憧れのガーデンスタイルでガーデニングができると、とても嬉しいものです。 フランス式庭園(英語 French garden, フランス語 Jardin français)は、西洋風の庭園の様式のひとつ。フランス式整形庭園とも。, 主には平坦で広大な敷地に軸線(ビスタ)を設定しての左右対称性、幾何学的な池の配置や植栽の人工的整形などを特徴とし、17世紀から18世紀にかけて主にフランスで発達した平面幾何学式庭園を指す。斜面を利用したイタリアの露壇(テラス)式庭園の様式がフランスの国土や政治形態にあった形に生まれ変わったスタイルで、その後世界的に大流行した[1][2]。代表例にルイ14世の命により造園家アンドレ・ル・ノートルが考案したヴェルサイユ宮殿の庭園があり、その成功により、イギリス王室はじめ周辺各国の貴族庭園に多大な影響を及ぼした[1][3]。その整形性は自然の規則性を反映するものであったが、設計の単調さにより「死せる野」と評されることもあり[4]、18世紀以降はフランス風景式庭園が主流になっていった。, フランスでも農業を営むには空地を耕さねばならない。そのうえ、しばしば侵入者から畑を守らねばならなかった。フランス人が早くから庭や畑に大きな愛情を抱いたのはこうしたことに由来し、フランス人が、「祖先の聖なる土地」を守るとき、彼らは村や町のことよりも、その庭や畑のことを考えているとされる。庭は数世紀についてはプレオ(中庭)形式であり、わが身を守るために城塞の陰に身をひそめていなければならなかったが、これはブレ・オー「高みなる草地」であって、高所に造られたひとひらの小さな草地、近くの野原の斜面に作られた矩形の草原を意味した。, フランスの庭が開花したのはルネサンス以降で特に宗教戦争の終わり頃からで、農業の振興と君主制下の社会の建設に力を注いだシュリーの時代以降、庭園もまたそれに伴って飛躍的な発展をとげた。他の国と異なり、フランスでは農業の発展、社会の展開、造園の三者間はつねに密接な関係があったのである。, 15世紀末ごろからフランスの庭に新しい息吹きが吹き込まれる。「ゆたかなイタリア美術とナポリで見た素晴らしく美しい庭に魅せられて」帰って来たシャルル8世は、イタリアから一群の造園家たちを呼び寄せて、ガイヨン、アンボワーズ、ブロワなどの王宮の庭を造らせている。しかしナポリの造園家たちの才能にもかかわらず、この貢献もまた、ロベール・ダルトワの「技師」たちの場合同様、フランスの庭の精神を変えることはなく、ほんのわずか新しい要素を付け加えたに過ぎず、庭の周囲に立木を組合せてトンネルをつくり、そのドームの上にアサガオやバラ、蔓草などを這わせ、またブロワでほ木枠に鮮かな色を塗ったり、それを金メッキで際立たせたりしている程度である。このことについてジョルジュ・シモンは『庭』(1943年)において、ルネサンスのイタリア式庭園には大いなる構想や広い眺望が欠如していた、建物の平面がつねに不規則でそういったものになじまなかったのである、と説いているほか、ルネサンス期では庭が住居と同時に造られたのではなく、庭は、それ自身も好みにあわせて手を加えられた中世の城塞に、あとから「付け加えられた」としている。, ジュリア・S・ベラルの『図説庭園史』によると、庭園には野生の花が咲き乱れ、その種類としてひなぎく、うまのあしがた、おだまき草、釣鐘草、蘇、紫のクロッカス、サフラン、すずらん、桜草、すみれ、雪割草、パンジーなどのほか、野ばら、百合、シャクヤク、アイリスなども植えられたとしている。鉢植えの赤いカーネーションは当時流行の花であったという。ついで十字軍によって、サンザシ、タチアオイ、ライラックが、コンスタンチノポリスやダマスクスからもたらされ、苔におおわれた石造りのベンチも、ほぼひとしい間隔をおいて配置されたことが知られている。, ほか烏龍や噴泉、さらには幹を丸いベンチで囲んだりんごや桜の木もあるほか、ジュリア・ベラルによれば、当時、芝生の部分が休息や遊戯、踊りの場として用いられ、それ以外の部分はふつう、煉瓦や石や板でふち取られて花鳩や花壇になっていたという。庭のこの部分は、犬が入り込まぬよう木の柵で守られて、そうした柵は往々にしてその所有者の紋章の色で塗られていたという。こうした庭の様子をかなり細かいところまで知りえるのは、いわゆる中世の「花模様」のタビストリーを織り出す職人たちのモデルになり、またそれはさまざまなミニアチュール、たとえばシャンティイ城の美術館の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」やクルシウスの「本革書」、あるいはアルセナル図書館の「ヴァレール・マキシム」(5196番第357葉裏)や「ルノー・ド・キントーパン」(5072番第71葉裏)などにもみられるためである。, この時代の特色は庭に関する著作がたくさん現われたことである。このことは、庭がフランス人の心のなかで、それ独白の生命をもつものとなりはじめていたことがわかる。数多い著作のうち注目すべきものとしては、シャルル・エスティエンヌの『プレジディウム・ルステイクム=円舎の土地』や、アントワーヌ・ゾーの『園芸』(1576年)、ジャン・リボーの『田園の住宅』(1583年)が挙がる。さらにフランスのもっともすぐれた城館とされるジャック・アンドルーエ・デュ・セルソーの図面集(1576年)などが出版されている。デュ・セルソーの図面はすべて実際にその地を訪れて描いたものであるとされるが、この図面から、そのころの庭のほとんどが、大きな四角い花垣に仕切られた市松模様になっていたことがよく分かる。, 1600年に出版されたオリグィユ・ド・セール『農業一覧』では、庭についてもいろいろと記述されている。また17世紀半ばになると、ドニフ・バロードリーの『庭園論』(1636年)や、アンドレ・モレの『庭の娯しみ』(1651年)など、専門家が記述した庭園設計についても多く出版させた。そこに述べられている庭園理論は、明らかにル・ノートルの才へと繋がるものである。モレはその中で、「ファサードに垂直な大きな並木道を造ること、この並木道は必ず彫像または噴泉で終わり、その始点、すなわち館の前面に、半円また方形の大きな広場をとって、広い眺望を遮ぎるものが無いようにする」ことをすすめている。, 近代日本において洋館が建設されるようになると、これに付随して芝庭などを配した西洋風の庭園も徐々に制作されるようになった。代表的なものに赤坂離宮(1909年完成)がある。, また横浜や神戸など明治の外国人居留地や、都市部においても近代(西洋)的な公園の造営も行われ、整形した垣根、幾何学的に配置された道路・水路・噴水など、フランスの平面幾何学式庭園(整形庭園)に見られる要素が導入された。ただし、これに加えてイギリス式庭園の要素を折衷した「西洋風庭園」として作庭・鑑賞されることが多い。これはこの時期本国イギリスのイギリス式庭園でも邸宅の近くは花壇を設置して幾何学的に庭園を設計し、遠くになるにつれて風景式にしているためである。, 本多静六らの日比谷公園(1903年開園)やアンリ・マルチネ(Henri Martinet)の設計による新宿御苑(1906年完成)、福羽逸人の庭園設計による武庫離宮(須磨離宮、1914年完成)は平面幾何学式庭園・風景式庭園・日本庭園など複数の様式を組み合わせて作られている。国会前庭、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、千葉県松戸市にある千葉大学園芸学部(旧千葉高等園芸学校)、宇都宮大学農学部(旧宇都宮高等農林学校)庭園にも同様の形式をもつ庭園群を敷地に備える。後者2つの学校庭園は教材として構えている。, この形式の庭園が構える大広場や、そこに繋がる一直線に伸びた道路は、18世紀の都市計画にも大きな影響を与えたことが知られている。放射に伸びた道路と道路の交差位置に円形の空地を置くパターンは関東大震災後フランスから帰国した建築家中村順平が発表した「大東京市復興計画案 平面図」の道路網パターンでもその片鱗がうかがえる。またそうした幾何学的な園路パターンはイサム・ノグチ設計のモエレ沼公園でも採用されている。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=フランス式庭園&oldid=80445401, 佐々木邦博「ル・ノートルとフランス式庭園」進士五十八・白幡洋三郎編『造園を読む-ランドスケープの四季-』所収、彰国社、1993.