新日本プロレス、全日本プロレス、UWF、FMW、全日本女子プロレスなど主なプロレス団体の試合結果を過去から現在まで熱戦譜として掲載しています。, 全日本プロレス「’94サマーアクションシリーズ」最終戦=第21戦1994年7月28日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’88世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦=第23戦1988年12月16日 日本武道館 試合結果, ジャパンプロレス「6・21スペシャルウォーズIN武道館」1985年6月21日 日本武道館 試合結果, 新日本プロレス「ファン感謝スーパーファイト」1980年9月30日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’87世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦=第18戦1987年12月11日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「サマーアクションシリーズ2」第6戦1988年8月29日 日本武道館 試合結果, 全日本女子プロレス「武道館女王列伝MAX」1994年8月24日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’94サマーアクションシリーズⅡ」最終戦=第11戦1994年9月3日 日本武道館 試合結果, UWFインター「’94プロレスリング・ワールドトーナメント優勝戦」1994年8月18日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’91スーパーパワーシリーズ」第13戦1991年6月1日 東京・日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’93サマーアクションシリーズⅡ」第12戦1993年9月3日 日本武道館 試合結果, 新日本プロレス「エクスプロージョンツアー’93」最終戦=第17戦1993年6月15日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’93スーパーパワーシリーズ」第15戦1993年6月1日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’98世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦=第16戦1998年12月5日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’98ジャイアントシリーズ」最終戦=第18戦1998年10月31日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’92サマーアクションシリーズ2」第3戦1992年8月22日 日本武道館 試合結果, 新日本プロレス「マスターズ・オブ・レスリング」第8戦1992年6月26日 日本武道館 試合結果, 全日本プロレス「’92エキサイトシリーズ」第10戦1992年3月4日 日本武道館 試合結果, RISING THE NEXT GENERATIONS IN OSAKA DOME, ~全日本プロレス創立15周年記念~特別興行“全日本VSジャパンVS国際血盟軍”三軍対抗・'87チャンピオンズナイト, UWF MAY HISTORY 1st.~OSAKA BASEBALL STADIUM~, 日本全国縦断大仁田厚メモリアル引退ツアー・ラストファイト~最終章~11月シリーズ 戦争!!, 日本全国縦断 大仁田厚メモリアル引退ツアー・ラストファイト~最終章~10月シリーズ<FMWvsW★ING同盟全面対抗戦>, FIGHTING NETWORK RINGS1994 TOURNAMENT 3rd Round, FIGHTING NETWORK RINGS1994 TOURNAMENT SEMI-FINAL, FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT GRAND FINAL, WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998 GRAND FINAL, UWFインターナショナルVS新日本プロレス ALL-OUT CONTEND BATTLE, 全面戦争!!UWFインターナショナルVS新日本プロレス~ALL-OUT CONTEND BATTLE~, ALL-OUT CONTEND BATTLE UWFインターナショナルVS新日本プロレス, PANCRACE TOUR 1995 EYES OF BEAST IN YOKOHAMA, スペル・エストレージャ'92~SUPER SONIC&DYNAMIC ACTION, 第1回IWAタッグリーグ戦初代チャンピオン決定リーグ・Bブロック~DANGER ROAD~, FINAL ORIENTAL MYSTERY TOUR~KABUKI FOREVER~, CELEBRATE THE FIRST ANNIVERSARY~若松ワールドにようこそ~, TOKYO PSYCHOPATH CIRCUIT DOUBLE INITIATION ACT.1, オリエントパシフィック・エクスプレスPRESENT全女バリ島トロピカルツアー'94, 女子プロレス夢★未来~THE DREAM&FUTURE~第1回ジュニア・オールスター戦, LLPW 4th Anniversary ザ・華激ルネッサンスⅣ~私リングでもすごいんです~. vs  下記よりこれから開催される予定の大会情報を確認できます。各大会のチケット情報ページに記載されているプレイガイドからチケットを購入することができます。 『Team NJPW』についての詳しくはこちらから, 新日本プロレスの歴史、またIWGPチャンピオンなどの各タイトルの王座変遷を確認できます。, 観戦したい大会のチケット情報ページに記載されているプレイガイドからチケットを購入することができます。 大森隆男 ジェイク・リー Oops!

!パソコン、スマホで遊べる新感覚トレーディングカードゲーム!, 新日本プロレスリング株式会社は、安全を保証するものとして個人情報保護の国際規格:『TRUSTe』、国内規格『プライバシーマーク』の認証を取得しています。, 前号の著作物、意匠権および商標権を複製使用した玩具、スポーツ用品、衣類、飲食物、文房具、装身具、電気機械器具、時計、レコード、音声テープ、ビデオテープ、コンパクトディスク、レーザーディスク、DVD及び日用品雑貨の販売. 2020 世界最強タッグ決定リーグ戦

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Copyright © New Japan Pro-Wrestling Co.,Ltd. 公式戦 30分1本勝負 我が社は強靭な体と磨き抜かれた技と豊な感性と社会人としての心構えを持ったプロレスラーを育成しその活動を通じて健全なスポーツとしてのプロレスリングの市民権を確立発展させることによって社会に貢献することを目指す. 11月 株式会社ユークスが新日本プロレスを子会社化。 2007(平成19年) 4月 菅林直樹が社長に就任。 2009(平成21年) 11月 cmllと業務提携を締結。 2012(平成24年) 1月 株式会社ブシロードが新日本プロレスを子会社化。 イザナギ 6人タッグマッチ アブドーラ・小林 崔領二

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【全日本プロレスTV】本日の「全日本プロレス 水曜スペシャル」は全日本プロレス解体新書 大森隆男編 配信!! 公式ファンクラブ『Team NJPW』に入会すると、チケットの先行予約ができる特典もあります。 土肥こうじ シングルマッチ

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宮原健斗 佐藤光留 全女管理下. 6人タッグマッチ 公式戦 30分1本勝負 公式戦 30分1本勝負 ブラックめんそーれ 2019年11月19日のブログ記事一覧です。全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。【昭和の全日本プロレス】 シングルマッチ vs 諏訪魔 ヨシタツ

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公式戦 30分1本勝負 2020 世界最強タッグ決定リーグ戦 佐山聡の長男・佐山聖斗が、父の指導のもと格闘家を目指し練習中~「アナザーストーリーズ」で明かされる:プロレスニュース・トピックス, 今のプロレス界で何が起きているのかがだいたい分かる。団体問わないプロレスニュースと、観戦した大会・試合の感想も書いていきます。 諏訪魔 松永が1968年に旗揚げした全日本女子プロレスは、バークからタイトルの権利を買い取る話を進め、まず、1970年8月にロスで行われたトーナメントに優勝したマリー・バグノンが、バークからベルトを授与され

関本大介 日本武道館 について。プロレス試合結果データべース 新日本プロレス、全日本プロレス、uwf、fmw、全日本女子プロレスなど主なプロレス団体の試合結果を過去から現在まで熱戦譜として掲載しています。

全日本プロレスの公式サイトです。「明るく、楽しく、そして激しく」。全日本プロレスは、このコンセプトを大切にしながら、皆さまに愛されるプロレスを目指しています。

『Team NJPW』についての詳しくはこちらから, 新日本プロレス公式動画サイトNJPW WORLD(有料)にて新日本プロレスの主要大会を完全配信しております。 COPYRIGHT(C) ALL JAPAN PRO-WRESTLING Co., Ltd. 石川修司 青柳亮生 全日本プロレスの試合を月額900円で見放題のサイト 全日本プロレスtv 主要大会はliveにて配信中!アーカイブも随時更新!, タッグマッチ また、新日本プロレス45年分のアーカイブから試合映像を観ることができます。, 選手のプロフィールや必殺技、また選手ごとのSNS情報などを確認できます。

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2020 世界最強タッグ決定リーグ戦 ※試合順は決定次第お知らせ致します。. 岡田佑介  ただし、全日本プロレス・イノベーションはオールジャパン・プロレスリングの株式の34%を保有し続けており、関係は継続されている 。 2016年 9月30日、bs11にて「全日本プロレスイレブン」の放送開 … 青柳優馬 大森北斗 vs  vs 

ゼウス フランシスコ・アキラ vs vs 

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全日本プロレス(ぜんにほんプロレス、英: ALL JAPAN PRO-WRESTLING、略称: AJPW)は、日本のプロレス団体。運営会社はオールジャパン・プロレスリング株式会社。, 1971年12月、アントニオ猪木が日本プロレスの経営改善を下にクーデターを画策したとして、日本プロレス選手会を除名され日本プロレスを永久追放された(詳しくは「密告事件」を参照)。その余波が、日本プロレスのテレビ中継に波及することとなった。当時は、日本テレビとNETテレビ(現:テレビ朝日)の2局放映体制であった(詳しくは「BI砲の時代」を参照)。NETテレビの看板選手であった猪木を日本プロレスの内部事情で失ったことで、NETテレビはこれまで日本テレビとの関係からNETテレビの中継に出場できなかったジャイアント馬場の出場を強硬に要求し、日本プロレスの幹部は日本テレビとの取り決めを破り、馬場のNETテレビの中継への出場を解禁。このため、日本テレビは「契約不履行」を理由に日本プロレス中継の打ち切りを決定。極秘裏に報復手段に近い形で、日本テレビと関係が近かった馬場に接触して独立を促す。日本テレビから「旗揚げに対しての資金は全て日本テレビが負担する」「放映権料も最大限用意する」「馬場がいる限り、プロレス人気が下火になっても放送は打ち切らない」等の好条件が提示され[2]、それを受けて馬場もまた独立へ向けて準備を進める形となった。, 1972年7月29日、馬場は日本プロレスを退団し新たなプロレス団体を設立することを表明。日本テレビのバックアップを受ける形で渡米しサーキットを行い、その上でドリー・ファンク・シニア、フリッツ・フォン・エリック、ブルーノ・サンマルチノなどの有力者に接触して協力を要請し、豪華外国人選手の招聘に成功。日陣営も「親馬場派」ともいえる大熊元司、マシオ駒、サムソン・クツワダらを確保。この中でも日本プロレスの若手選手であった百田光雄、取締役兼リングアナウンサーとして百田義浩に加え、役員として力道山未亡人の田中敬子も旗揚げに参加したことで「力道山(百田)家のお墨付き」を得ることにも成功[注 1]。日本テレビや百田家の後ろ盾、外国人選手の招聘ルート開拓に成功した全日本プロレスに対し、日本プロレスは過去に東京プロレス、国際プロレス、新日本プロレスに行ったような外国人レスラーの招聘妨害や会場使用を出来なくするような妨害工作を行う事が出来ず、興業の目玉である馬場を失った日本プロレスは一気に弱体化する事になる。, さらに、手薄な日本人陣営をカバーするため、国際プロレス代表取締役社長の吉原功との会談でサンダー杉山を獲得し、当時若手選手であったデビル紫、鶴見五郎らが参戦して国際プロレスとの協調路線をしばらく維持。馬場ら全日本勢も協力の見返りとして、しばしば国際プロレスの興行に参戦した。, 馬場は将来の投資として、旗揚げ直後にミュンヘンオリンピックレスリング日本代表であった鶴田友美(リングネーム:ジャンボ鶴田)を獲得。渡米修行から1年後の国内デビュー以降タイトルに頻繁に挑戦させるなど、将来のエース候補として英才教育を受けさせた。また、ザ・デストロイヤーが手薄な日本人陣営に助っ人として加わり、1979年まで約6年半にわたり定着参戦。馬場に次ぐ看板選手として、初期の全日本の興行活動に貢献。, 1973年4月、日本プロレスが崩壊し、最後まで日本プロレスに残留した大木金太郎ら9名の日本プロレス残党は「力道山家預かり」となることを発表。その過程で、日本テレビや力道山家の意向などもあり大木ら9選手は全日本へ合流する形となったが、馬場は当初から大木らの受け入れには難色を示していたとされている。そのため、馬場はマッチメイクなどで「旗揚げからの所属(子飼い)組」と「日本プロレスからの合流組」との間で扱いに格差を付けていた[注 2]。この扱いに対して上田馬之助と松岡巌鉄が反発し、10月9日に退団[注 3]、次いで大木も、1974年1月のシリーズを無断欠場して全日本から一時撤退。, ジャイアント馬場が培ったアメリカ(主にNWA)での人脈を生かし多くのスター外国人選手を招聘するなど、力道山の時代の「日本人選手対外国人選手」の系譜を受け継いだ。新日本プロレスのストロングスタイルに対し、アメリカン・プロレスの源流に重きを置いた。この時期に鶴田を輩出してミル・マスカラスやテリー・ファンクなどアイドル的な人気を博したベビーフェイスの外国人選手も登場。1977年、世界オープンタッグ選手権に端を発するザ・ファンクスとアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組の流血の抗争劇も人気を呼んだ。, 1981年、新日本との引き抜き合戦が勃発。5月にブッチャーが引き抜かれるが、全日本も7月にタイガー・ジェット・シン、12月にスタン・ハンセンを引き抜く。また、馬場や鶴田に次ぐ選手として天龍源一郎や大仁田厚らも台頭。馬場が年齢を理由にタイトル戦線から退いた後は「明るく、楽しく、そして激しく」を掲げ、日本人選手の対戦が主軸となった。その他、中継権を持っていた日本テレビと関連が特に深い時期であり、一時馬場が会長職に退き、日本テレビの役員だった松根光雄が出向の形で全日本の社長ポストに就いていた(馬場は松根の退社後に社長に復帰)ほか、大八木賢一(後に全日本専務、ノア専務)など多くの日本テレビ関係者が、出向で全日本に在籍[4]。天龍を中心に「見る者にも、痛みの伝わるプロレス」が繰り広げられた。, 1984年、新日本を離脱した長州力らジャパンプロレスの選手が参戦したが、その後ジャパンプロレスが分裂し、長州力らが新日本に戻ったのをきっかけに天龍は阿修羅・原と「天龍革命」を起こし鶴田、ハンセン、ブルーザー・ブロディらとタイトル争いを演じた。, 1987年、ハル薗田が新婚旅行を兼ねて南アフリカへ試合のために向かう途上、航空機の墜落事故に遭遇し、不慮の死を遂げた。薗田は31歳というこれから脂の乗ってゆく年代の選手であるだけに期待されており、マシオ亡き後の若手に対するコーチ役を務めていたことから、組織としても痛手となった。, 1988年、長く待望されていた3つのヘビー級王座の統一が図られるが、決定戦のたびに引き分けや不透明決着に終わる。, 最初の統一戦から約1年が経過した1989年4月16日、後楽園ホール大会におけるメインイベントの鶴田対ハンセン戦も反則裁定に終わり、ついに激怒したファンが暴動寸前にまで陥る。三冠統一は4月18日、鶴田により成されたが、これがきっかけとなって全日本の試合からあからさまなリングアウト・反則裁定が排除され、技による完全決着がつけられるようになる。これが後の鶴田対超世代軍、四天王の激戦を呼ぶ伏線となった。, 1990年、天龍源一郎をはじめとする多くの選手がSWSに移籍して存続が危惧される。だが、2代目タイガーマスクとして活躍していた三沢光晴が率いる「超世代軍」が鶴田に挑む構図が生まれ、新たなブームを引き起こす。鶴田が率いる正規軍、三沢が率いる超世代軍、それに外国人選手との戦いが主軸となった。, 1992年、鶴田が病気のため一線から退くと、三沢光晴・川田利明・小橋健太・田上明の「プロレス四天王」による戦いが中心となり「四天王プロレス」と呼ばれる形へ発展。ジャパンプロレスのハイスパートレスリング、天龍革命によってもたらされた激しいプロレスを出発点とする危険度の高い技を次々と繰り出すスタイル(詳しくは「王道プロレス」を参照)は先鋭化し続け、テレビ解説をしていた馬場に「高度すぎて俺には解説できない」と言わしめるほどだった。この時期に空前絶後の利益をおさめ、年間7回の日本武道館大会を中心に経営的な成功を勝ち取る。日本武道館大会は、1990年代全般でプレイガイド発売即チケット完売となるほどの人気で1998年には東京ドームで初興行を開催。「王道プロレス」のキャッチコピーが浸透。, 1999年1月31日、馬場が死去。5月7日、三沢が社長に就任。馬場存命中には行わなかったビッグマッチでの大胆なカード編成を試みた。また三沢、仲田龍らは、新日本などで行われていた花道やレーザー光線などを使った華やかな演出を提案し続けた。しかし、伝統の保持を第一優先と主張する馬場夫人である馬場元子との軋轢が生じ、社長を解任された。その結果、元子と馬場の姪である馬場幸子、渕正信を除く全役員が辞任。, 社長解任後、三沢を含めた選手26名、練習生1名、大半の職員が全日本を離脱してプロレスリング・ノアを設立(詳しくは「三沢光晴の経歴」を参照)。その後、日本テレビは全日本プロレス中継を終了し、所持していた全日本プロレスの株式も手放す。放送枠は「コロッセオ」を経て「プロレスリング・ノア中継」に切り替えた。, 全日本プロレスに残留したのは川田、渕、レフェリーの和田京平、リングアナウンサーの木原文人、広報1名、そして馬場元子の6名となった。後に川田は、馬場亡き後は全日本にはフリーとして上がっており専属契約はしていないことを告白しているが、2004年までは全日本の役員に名を連ねていた。その他は、留学という形での参戦だったマウナケア・モスマン(現:太陽ケア)、当時は元参院議員として衆院選活動中でプロレス復帰も流動的な馳浩のみだった。, その後、天龍の全日本復帰やフリー・他団体の選手、馬場時代からの常連外国人選手の参加により運営を維持していた。また、この時期に川田と渕が新日本の興行に出場。, 2001年1月28日、東京ドーム大会で武藤敬司が全日本に初参戦。ケアに勝利した後に共闘し、BATTを結成。その後、新日本所属選手としては初となる三冠ヘビー級王座・世界タッグ王座を獲得し、さらに年末の世界最強タッグ決定リーグ戦も制し、プロレス大賞最優秀選手賞(MVP)を受賞した。武藤は、同年の日本武道館大会の全6大会すべてのメインイベントを務めた。, 2002年2月26日、新日本を退団した武藤、小島聡、ケンドー・カシン、WWF(現:WWE)を退団したカズ・ハヤシが移籍。, 武藤の社長就任直後は三沢社長時代と同様に株式譲渡が無く、再びオーナーとサラリーマン社長という形での軋轢が生じた。その後、渕正信とレフェリーの和田京平ら生え抜き役員が武藤側に回り、渕・川田・和田の連名で武藤への株式譲渡懇願書を馬場元子に提出。武藤には無償で株式が譲渡され、馬場元子はオーナーを退き、事務所を六本木から移転。シリーズ興行の定番タイトルだった「ジャイアント・シリーズ」などを変更、WWEでエージェントを行っているジョニー・エースとの繋がりで、ジャマールらWWEを解雇されたレスラーが多く参戦して全日本の伝統である「日本人選手対外国人選手」を受け継ぎつつ「明るく、楽しく、激しく、新しい」プロレスをメインコンセプトに、馬場全日本のカラーだった「王道プロレス」に代わる「パッケージプロレス」を提唱、実践していることが武藤全日本の特徴であった。, 通常の興行は、橋本真也が率いるプロレスリングZERO-ONEとの団体対抗戦後、TAKAみちのくが率いる「RO&D」が参戦。その後、TARUが率いる「VOODOO-MURDERS」、佐々木健介・中嶋勝彦の「健介ファミリー」、鈴木みのる・NOSAWA論外・MAZADA・TAKEMURA・高山善廣に太陽ケアを加えた「GURENTAI」の定期参戦、元大阪プロレスの菊タロー、大相撲第64代横綱の曙らの参戦により、新たなファン層の獲得にも成功する。, 特別興行では、2002年6月9日にA BATHING APEとのコラボレーションによる「BAPE STA! 青柳亮生 2020年10月14日 '94サマーアクションシリーズ東京都1994年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1994年7月28日(木)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万6,300人=超満員 ※テレビ収録 ▼20分1本勝負 ①○井上雅央(9分23秒 ブロックバスターホールド)×志賀賢太郎 ▼ …, 2020年3月31日 '88世界最強タッグ決定リーグ戦1988年東京都日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1988年12月16日(金)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万2,700人=満員 ※テレビ収録 ▼15分1本勝負 ①○百田光雄(7分41秒 バックドロップ→体固め)×北原辰巳 ▼20 …, 2020年3月23日 6・21スペシャルウォーズIN武道館1985年東京都日本武道館ジャパンプロレス, ジャパンプロレス「6・21スペシャルウォーズIN武道館~全日本プロレス、ジャパンプロレス業務提携一周年記念特別興行~」1985年6月21日 日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万2,000人 ▼15分1本勝負 …, 2020年3月5日 1980年ファン感謝スーパーファイト東京都日本武道館新日本プロレス, 新日本プロレス 1980年9月30日(火)日本武道館大会 試合結果 試合開始19時 観衆7,500人 ▼15分1本勝負 ①○荒川真(5分29秒 片エビ固め)×平田淳二 ▼20分1本勝負 ②○木戸修 ジョージ高野(13分3 …, 2020年2月13日 1986年'86世界最強タッグ決定リーグ戦東京都日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1987年12月11日(金)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万3,200人=満員 ▼15分1本勝負 ①○栗栖正伸(10分43秒 首固め)×小川良成 ▼20分1本勝負 ②○寺西勇(9分 …, 2020年2月2日 サマーアクションシリーズ21988年東京都日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1988年8月29日(月)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万4,200人=超満員 ※テレビ収録 ▼15分1本勝負 ①○百田光雄(7分24秒 バックドロップ→体固め)×菊地毅 ▼20分 …, 2020年1月15日 武道館女王列伝MAX1994年東京都日本武道館全日本女子プロレス, 全日本女子プロレス 1994年8月24日(水)日本武道館大会 試合結果 試合開始17時 観衆1万5,500人=超満員 ※テレビ&ビデオ収録 ▼ミッドサマー・レスリング・アカデミー=30分1本勝負 ①○みなみ鈴香 渡辺智子 …, 2020年1月6日 '94サマーアクションシリーズⅡ東京都1994年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1994年9月3日(土)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万6,300人=超満員 ※テレビ収録 ▼20分1本勝負 ①○マイティ井上(6分15秒 サマーソルトドロップ2連発→片エビ固め)×志賀 …, 2020年1月3日 '94プロレスリング・ワールドトーナメント優勝戦1994年東京都日本武道館UWFインター, UWFインター 1994年8月18日(木)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万6,500人=超満員札止め ※テレビ収録&ビデオ収録 ▼30分1本勝負 ①○バッドニュース・アレン<5点>D3E1S0(5 …, 2019年12月17日 '91スーパーパワーシリーズ1991年東京都日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1991年6月1日(土)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万5,960人=超満員 ※テレビ収録 ▼20分1本勝負 ①○寺西勇(9分50秒 前方回転エビ固めをつぶす→エビ固め)×百田光雄 …, 2019年9月3日 '93サマーアクションシリーズⅡ東京都1993年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス「武道館 SUMMER PARTⅢ“ザ・激流”」1993年9月3日(金)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万6,300人=超満員 ※テレビ収録 ▼20分1本勝負 ①○大森隆男(6分6秒  …, 全日本女子プロレス 1993年8月25日(水)日本武道館大会 試合結果 試合開始17時 観衆1万5,400人=超満員 ※テレビ&ビデオ収録 ▼特攻隊最前線・全女vsLLPW=20分1本勝負 ①穂積詩子 ○紅夜叉 遠藤美月 …, WAR「『革命陽上』~THE FIRST ANNIVERSARY OF REVOLUTION~」1993年6月17日(木)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万4,000人=超満員 ※ビデオ収録 ▼全面対決オ …, 2019年8月14日 エクスプロージョンツアー'93東京都1993年日本武道館新日本プロレス, 新日本プロレス「超実力派宣言Ⅳ」1993年6月15日(火)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万4,214人=超満員札止め ※テレビ収録 ▼30分1本勝負 ①○西村修 大谷晋二郎 永田裕志(12分44秒 ミサ …, 2019年8月10日 '93スーパーパワーシリーズ東京都1993年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1993年6月1日(火)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万6,300人=超満員 ※テレビ収録 ▼15分1本勝負 ①○百田光雄(7分49秒 サムソンクラッチ→エビ固め)×大森隆男 ▼2 …, 2019年7月15日 '98世界最強タッグ決定リーグ戦東京都1998年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1998年12月5日(土)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万6,300人=超満員 ▼30分1本勝負 ①○浅子覚 丸藤正道(14分54秒 SDA→片エビ固め)金丸義信 ×橋誠 ②○ヘッドハン …, 2019年7月9日 '98ジャイアントシリーズ東京都1998年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1998年10月31日(土)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万6,300人=超満員札止め ▼20分1本勝負 ①○菊地毅(5分32秒 ダイビングボディーアタックを切り返して丸め込む→片エビ固 …, 2019年7月2日 '92サマーアクションシリーズ2東京都1992年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1992年8月22日(土)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時 観衆1万6,300人=超満員 ※テレビ収録 ▼20分1本勝負 ①百田光雄 ○リチャード・スリンガー(12分41秒 ジャーマンスープレック …, 2019年6月28日 マスターズ・オブ・レスリング東京都1992年日本武道館新日本プロレス, 新日本プロレス 1992年6月26日(金)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時33分~20時56分 観衆1万4,214人=超満員札止め ※テレビ収録 ▼20分1本勝負 ①○山本広吉 小島聡(12分33秒 抱え込み式逆 …, 2019年6月18日 '92エキサイトシリーズ東京都1992年日本武道館全日本プロレス, 全日本プロレス 1992年3月4日(水)日本武道館大会 試合結果 試合開始18時30分 観衆1万6,300人=超満員 ※テレビ収録 ※とんねるず、工藤静香が観戦。 ▼20分1本勝負 ①○百田光雄(10分42秒 サムソンク ….