「無上」は最も上なこと。, 公の場であるにもかかわらず、周りに人がいないかのように、他人の迷惑を考えない好き勝手な行動をすること。 または、誰かに教わることなく、自身で考え出したやり方のこと。 「冷眼」は冷ややか目のこと、「傍観」はそばでみているだけということ。, 思いやりも同情心もないこと。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。 「無方」は方角が決まっていないこと。
「漏」は六根(感覚器官である目、耳、鼻、舌、身、意の六つ)から漏れ出るもの、転じて煩悩のこと。 「海内」は世界や国内のこと。 「天壌」は天と地のことで、広く大きいことや終わりがないことのたとえ。 「息災」は病気や災害などの災いを仏の力で止めるという意味から、災いもなく元気であること。元は仏教の言葉。, 仏が存在していない世界。
「融通無碍」とも書く。, 初めだけはあるが、終わりがないこと。 「融通」は物事が停滞することなく順調に進むこと。 似ている意味の言葉を重ねて強調したもの。, 限りないほど素晴らしいこと。 「無為」は何もしないこと、「徒食」は働かないで食べること。, 地位や肩書き、階級などがないこと。 「故」は故意に犯した犯罪のこと。, 並外れて武術にすぐれ、勇ましい様子。 「てんか」は「てんが」とも、「むそう」は「ぶそう」とも読む。, この世に相手になるものが存在しないほどに強いこと。 「天道親無し」とも読む。, 同じ時代に比較するものが存在しないほどにすぐれていること。 「千万」はこの上なく数が多いこと。
「迅速」は非常に速い様子のこと。, もっともすぐれた悟りのこと。 「唯一」は一つだけ、「無二」は二つとないということで、同じ意味を持つ同義語を並べたもの。, 形があるものと無いもの。 「無双」は比較できるものが存在しないということ。, 何もしないでただ過ごすこと。 「憂いの来る方無し」とも読む。, 様々な状態に変化し続けて、留まることがないこと。 「無辜」は罪が無いという意味。 「比隣」は隣の家。, 全ての国の中でも、比べることができるものがいないほどにすぐれていること。 何の声もなく、何のにおいもしないという意味から。, 何も思わず何も考えない無心の状態のこと。 「有りや無しや」という言葉を漢文調に有耶無耶と書いて、それを音読したという説が有力な語源である。, 煩悩のある人と、煩悩の無い人のこと。仏教の言葉。 「蒙昧」は物事の道理を理解できないこと。 「冷嘲」は冷ややかに嘲笑すること。 「無念」は仏教語で迷いを捨てて心が澄んでいる状態のこと。 「無安」は心が安らぐことがないこと。, この世界のどこにも落ち着ける場所がないこと。 「廓然」は心が広々としていて、わだかまりなどなにもないこと。 「呻吟」は苦しんで声を発すること。, 病気をすることなく、健康で元気に暮らすこと。 「造反」は体制に背いた行動を起こすこと、謀反。, 道理や人の道からひどく外れた常軌を逸した行為のこと。 人生、人の命の儚さをいう言葉。 「豪胆」は何事にも動じない度胸があること。 「無偏」はかたよらないこと。 「無私」は個人的な利害や感情をはさまないこと。 または、邪心や偽りなどが一切無く純粋なこと。
「無恥」は恥知らずなこと。 仏教語で、死んでは生まれ変わる輪廻を永遠と繰り返すということから。, 自分の利益などを考えずに公平に行動や判断をすること。 または、一度も侵略されたことがない国のたとえ。 「無双」は匹敵するものがないということ。, 人を見下して、礼儀に外れている様子。 「涅槃」は煩悩を完全に捨て去った悟りの境地のこと。, 自分の言動を強引に相手に承諾させること。 「功徳」は功績と人徳。 「禍福門無し、唯人の招く所なり」を略した言葉。, 計ることが出来ないほど、深く感じ入ること。 「渾沌」は物事がはっきりと区別されていないこと。 「無礼」は失礼なこと。, この世の全ての現象や存在は常に移り変わり、はかないものということ。 「頑鈍」は信念がなく、恥知らずなこと。 または、満足するまで自由に行動すること。 「堆」は土を高く盛ることや盛った土そのもの。. 「無根」は根が無いこと、「無蔕」は蔕(へた)がないこと。 「万邦」は全ての国。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「無智蒙昧」とも書く。, 知識や知恵がなく、文字が読めないこと。または、そのような人のこと。 「無稽」は考えるべき根拠がまるでないこと。 「無位」「無冠」はどちらも地位や身分、役職がないという意味。, 何も対策をせずに、そのまま放置すること。 「千里」は千里四方という意味から、広大な範囲のたとえ。 「比目」は目を並べること。 「冷酷」は思いやりがなくひどいこと。 「難題」は解決することが非常に難しい問題のこと。, 人としての道理から外れていること。 「無聊」は頼りになるものがないこと。または、心に憂いがあって何も楽しめないこと。, 世の中に比べられるものが存在しないほどに素晴らしい様子。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「虚無」は何もないこと。 「人情」は人としての思いやりや慈しみの心。 「無辺無碍」とも書く。, 主義や思想にこだわることなく、一定の党に所属せずに、公平で中立の立場をとること。 「頭有りて尾無し」とも読む。, 日頃から十分に準備をしておけば、何が起こっても困らないという意味。 「縹渺」は遠くはっきりと見えないこと。 「意料」は思いをめぐらすこと。 「無効」は効き目が無いという意味。, 世の中に一つだけで他に並ぶものがないもののこと。
富や名誉があるときには暖かく近寄り、なくなると冷たくいい加減に扱うということから。, 冷や汗が三斗出るということから、きわめて恐ろしい思いをすることや恥ずかしい思いをすること。 多くの人々が悟りを得ることが出来ないことを、夜が長く続いて開けないことにたとえた言葉。, 一目見た時は役に立たないと思っていたものが、重要な働きをすること。 「胆勇」は大胆で勇気があること。 「無窮」は限りが無いこと。 「悪逆」は律令法の八逆の中の一つで親族殺しのこと。 「金甌」は黄金で出来た瓶のことで、国や天子のたとえ。 「無情」は思いやりも、相手を哀れむ心もないこと。 「無比」は比べることができるものが存在しないということ。, どれだけ遠く離れていても、すぐ近くにいるように親しく感じること。 策略もなく、手も縛られていて何もできないという意味から。
広々と見晴らしの良い景色をいう。 「天下に敵無し」とも読む。, 世の中につりあうものが存在しないほどすぐれていること。 「息災」は仏の力でさまざまな災いを取り除くこと。, 穏やかで変わったことが特にないこと。 「有名」は立派な名前、「無実」は内容がないこと。 「蕭条として人無し」とも読む。, 心を悩まされることなく、心にゆとりがあり、何もかまえることがないこと。 「蕭条」は静かで寂しい様子。 「無念」は仏教語で迷いを捨てて心が澄んでいる状態のこと。, 役にたっていないように見えるものが、実際は何かの役にたっていることもあること。 「肩を比べ踵に随う」とも読む。, 二人が親密で離れないことのたとえ。 「無病」は病気にならないこと。 「厚顔」はあつかましいこと。 または、数が多くつまらない人や物のことを卑しめる言葉。, 有があるから無があり、無があるから有があるという、有と無の相対的な関係のこと。 「累」はわずらわしさという意味。 または、この世のものはすべて相対的な関係にあるということ。 「風月」は自然の風景。 「無情」は思いやりも、相手を哀れむ心もないこと。
「比翼」は目と翼が一つしかなく、雌雄が常に一体となって飛ぶとされている比翼の鳥のこと。古代中国の想像上の動物。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。, 邪念や私欲などのない清らかな心を持っていること。 仏教の言葉で、物事の程度や分量などの見当をつけることができないほど大きいことをたとえた言葉。, なにものにも縛られない、自由な心を持っている人のこと。 「衾」は掛け布団のこと。 落ち着いた性格の人や、女性に対して危険性のない男性をいう言葉。, 水害や火災は人に大きな損害を与えるということ。 「無」は「无」、「毋」とも書く。, 面白いと思える要素や風情が何もないこと。
もとは平仮名の言葉で漢字を当てた言葉とされている。, 策略を巡らせて、実際に戦わずに勝つことや、その方法。 「笑いを河清に比す」とも読む。, 胸がすっとして、並外れて楽しく気持ちのよい様子。 「高潔」は心に品格があり、清らかなこと。 「趣味」は楽しみとすること。, 人の世の移り変わりは、この上なく速くてはかないということ。 「勁勇」は勇気があって、力強いこと。 「万邦」は全ての国。 「無辺」は限りがないということ。, この世で、比べる人がいないくらい優れている人のこと。 「無比」は比べることができるものが存在しないということ。, 手加減がなく、非常に激しいこと。 「往生」は元は「圧状」と書き、人を脅して相手に無理やり文書を書かせること。, 苦しい中で色々と工夫して都合をつけること。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「無礙」は何者にも縛られないこと。, 思うまま好きなように物事を行う様子。 「無学」は学問がないということ。 どちらも、男女間の愛情が深く仲がよいことのたとえ。, 同じようなものの中で、見た目をしっかりと調べ、他のものと比べて、その中でよいものを選ぶこと。 「弁才」は弁舌の才能があること。 「汗顔」は顔に汗をかくということから、この上ないほどに恥ずかしい様子のこと。 「清淡」は心が清らかでさっぱりしていること。 「無漏」は煩悩を振り払い、悟りの境地に達した人のこと。, 果てしなく続くこと。または、終わりのない永遠に続く長い時間。 仏教では、煩悩がなく澄んでいる心のことをいう。 「無窮」は限りが無いこと。, 痕跡や手がかりになるものが何もないこと。 「恬淡」はものに執着せずに、落ち着いていること。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。, 何事にも動じずに、落ち着いていること。 「沈着」と「冷静」はどちらも何事にも動じることなく、落ち着いていることで、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。, 一人で寝ることの寂しさを言い表す言葉。 「無行」は行動しないこと。, 何かにこだわることがなく、思考や行動が自由であること。 「比肩」は肩を並べるということから、人が多いということ。
「無月」は雲に覆われて、月が見えないこと。, 一際、忠義心に厚く、勇気があること。 または、貧しく、心苦しいために、何も楽しめないこと。 「無我」は不変の本質である「我」は存在しないということ。, 間違いや嘘ではない、本当のこと。 「無手勝」は武器を何も持たずに勝利すること。 「千里無煙」とも書く。, どうする方法もなく、何もできないこと。 「荒唐」はでたらめなこと。, 仏教の八大地獄のうちの一つ。 「万寿」は一万年の寿命ということから、長生きのたとえ。 「冷静」と「沈着」はどちらも何事にも動じることなく、落ち着いていることで、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。, 自分のことは他人から教わらなくても自分自身で分かるということ。 千里四方の広い範囲で、炊事をする煙が見えないという意味から。 「弁才無碍」とも書く。, 自分勝手で恥知らずであること。 「澹然」は静かで穏やかなこと。 「無垢」は穢れが全く無いこと。 水の冷暖は飲んだ者が分かるという意味から。, 素っ気なく鼻で笑うことと激しく皮肉ること。 「広大無辺」「洪大無辺」とも書く。, 何の心配事も無く、ぐっすりと眠ること。 「無想」は何も考えないということ。, 病気になっているわけではないのに苦しそうにすること。 植物が根付くための根や果実をつけるための蔕がないことから。, 何も対策をせずに、そのまま放置すること。 「無比」は比べることのできるものが存在しないということ。, 心配事はいつ、どこから来るか予想できないということ。 「十十無尽」とも書く。, 他の物がまったく混ざってない様子。 「相生」はお互いに生じあうこと。 「無為」は行動しないこと。 「垠」は地の果てのこと。 「武骨」は礼儀作法を知らず、風情を理解できないこと。 「無類」は二つと存在しないということから、比べることが出来るものがないという意味。, いつまでも終わることなく、天と地と共に続いていくこと。 「虚無」は何もなく、空っぽなこと。 「諸法」はこの世の全ての事象や現象のこと。 議論を終わらせるときに使う言葉。 ゆったりとして、何もかまえなくとも全てが自然に治まるという政治論をいう。 「無常」は仏教の言葉で、世の中が変化しやすいということ。, 人が一人もいなくて寂しいこと。 「放佚」は自分勝手なこと。 中国の北宋の時代の裁判官の包拯がほとんど笑うことがなかったことを、人々にたとえられたという故事から。 「至道」は悟りや真理に達する道のこと。, 他人のために尽くそうという、推し量ることのできない四つの心のこと。 「群竜」の「竜」はよい人材のたとえで、「群竜」は竜がたくさんいるという意味から、よい人材がたくさんいること。 「無比」は比べることのできるものが存在しないということ。, 忠臣のこと。 「万寿疆り無し」とも読む。, 全ての国の中でも、比べることができるものがいないほどにすぐれていること。