常々、親族が会して話しがでますのが、 平成天皇が、ご成婚の時に、御陵にご参拝された御陵に携わったり、宮司でもあったりしたようです。 因みに、伯爵家の世継ぎが2007年に他界した際に祐天寺で葬儀があったので、そこに関して貴殿が関わりがあれば姻戚関係含め一族の可能性がありますが、そうでなければ残念ですが違うでしょう。, はじめまして。母方の祖母が岐阜揖斐川の宗宮家の出で、藤原の流れと聞いたのですが、そのような系流もありますか?, 私の旧姓は、島元と申します。 今回は、道長以降の藤原氏についてご紹介したいと思います。, 上の図にある藤原忠通は、道長から5代あとの摂政・関白です。 じつは藤原氏は現代までずっと続いており、子孫の方もご健在です。 跡継ぎの男子が長い間生まれず、弟の藤原頼長を養子にしていたのですが、40歳を過ぎてから男子が生まれたため、頼長と養子縁組を解消して息子にあとを継がせたいと思うようになります。 母方の祖父から伝わり本家を、継いだ叔母の話でもあります。 忠通のあとは、3人の息子たち長男・基実、二男・基房、三男・兼実とそれぞれの子孫がそのときどきの状況に応じて摂政・関白の職を歴任します。院政から平氏政権、鎌倉幕府と権力の中枢が移りゆくなかで、摂政・関白の政治的な力は低下します。もはや「天皇の母方のおじいさま」かどうかにかかわらず、藤原北家嫡流の世襲制とされるようになりました。 藤原に関することでございますが、 今の私どもにとっては、どうでも良い事のようで、それ程気にも止めておりませんでした。 この兄弟の対立に加え、皇室でも兄・崇徳上皇と弟・後白河天皇が政治の主導権を巡って対立し、崇徳と頼長、後白河と忠通がそれぞれ結びつき、1156年に保元の乱が起こります。後白河・忠通が勝利し、頼長は乱のさなかに命を落とします。 『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年, ○手向山 また、話しにでてまいりましたのが、 菅原道真 (すがわらのみちざね) 845年~903年 . →師家(基房の子)→基通→兼実→基通→良経(兼実の子) 百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】 , 小倉百人一首から、菅家(菅原道真)の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。, ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。, ※宇多上皇(うだじょうこう)が奈良におでかけになったときに、旅の安全をいのって幣(ぬさ)をたむける山で、よんだ歌。, 今回の旅は幣の用意もできませんでした。手向山(たむけやま)の色とりどりの紅葉(もみじ)の葉を幣(ぬさ)として差しあげますので、神のお心にしたがってお受け取りください。(幣を用意できなかったのは、上皇のおでかけが突然で、いそがしかったため、という説によりました。), ※打消(うちけし)の助動詞「ず」は未然形接続です。未然形接続の助動詞は、「る・らる・す・さす・しむ・ず・じ・む・むず・まし・まほし・ふ・ゆ」の13種類です。助動詞の解説は「古典の助動詞の活用表の覚え方」にまとめました。, ※天皇・上皇などがでかけることを、行幸(ぎょうこう/みゆき)と言います。(例:今ひとたびのみゆき待たなむ), 訳)たむけをするために私の粗末な衣のそでを幣(ぬさ)として切って差しあげるべきでしょうが、道真がささげた紅葉の幣に満足していらっしゃる神が、その紅葉の幣をお返しなさるでしょうか、いや、お返しなさらないでしょう。, 古今和歌集・羇旅、素性法師:たむけにはつゞりの袖もきるべきにもみぢに飽ける神や返さむ, ※『古今和歌集』の420番目の歌が道真の和歌で、その次の421番目が素性法師の和歌です。, ※存続・完了の助動詞「り」はサ変動詞の未然形と四段動詞の已然形に接続します。サ変の未然形も、四段の已然形も、どちらも「e(エ)」の母音で終わります。したがって、母音「e(エ)」のうしろに「ら・り・る・れ」がつづいたら、まずは存続・完了の助動詞をうたがうようにしましょう。, ※動詞の活用(形の変化)については「古典の動詞の活用表の覚え方」でご確認ください。, ※「ゝ」や「ゞ」の文字は、同じ字をくり返すときに使います。漢字の場合は「々」、カタカナの場合は「ヽ」を使います。キーボードで入力するときは、「くりかえし」あるいは「おなじ」と打って変換すると出てくるはずです。ちなみに「〳〵」もくり返し記号で、たて書きで並べると「く」の字ようになります。これは2文字つづけてくり返すときに使う記号で、たとえば「つれづれ」を「つれ〴〵」と表すときに使います。横書きの場合は使えないので、スラッシュをかさねて、「\/」のようにして代用することもあります。, ※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。, 朱雀院(すざくいん)の、奈良におはしましたりける時に、手向山(たむけやま)にて、よみける(※宇多上皇が奈良におでかけになったときに、旅の安全をいのって幣をたむける山で、よんだ歌。), 「御幸(みゆき)の御供なれば、心慌ただしくて、幣も取りあへぬなり」(両度聞書(りょうどききがく))。次の歌(※道真の和歌が古今和歌集の420番目の歌。次の421番目の素性法師の和歌のこと)とともに昌泰(しょうたい)元年(898)十月の宇多上皇の吉野宮滝への行幸(日本紀略)の時の歌か。扶桑略記(ふそうりゃっき)によれば、是貞(これさだ)親王を除くと、大納言右大将の菅原道真が筆頭で供奉(ぐぶ)(※天皇のお供をすること)の責任者。勅命(ちょくめい)(※天皇・上皇の命令)による諸臣の献歌・献句のことも記されている。, ※詞書と注の引用は『新日本古典文学大系 古今和歌集』小島憲之・新井栄蔵、岩波書店、1989年、139ページ)によります。, ①神に祈る時のささげ物。また、罪けがれを祓(はら)うためのささげ物。主として木綿〈ゆふ〉・麻を使ったが、後には布・帛(はく)・紙などを使うこともあった。「佐保過ぎて奈良の手向(たむけ)に置く―は妹を目離(か)れずあひ見しめとそ」〈万三〇〇〉。「―とは、神に奉る絹なり」〈能因歌枕〉, ○幣