1991年のラジオたんぱ賞、1993年の七夕賞とオールカマーに勝利。常に後続を大きく引き離す大逃げという戦法の馬で、勝つときは圧勝、負けるときは急激な失速から惨敗という、極端なレース運びから人気を博した(後述)。中央競馬において「最後の個性派」とも呼ばれた[2]。, 1988年、北海道静内町の福岡牧場に生まれる。幼駒時代から強い身体のバネを備えていたが、一方で食が細く非常に小柄な馬だった[3]。2歳時に日高ケンタッキーファームで育成調教が積まれたあと、競走年齢の3歳を迎えた1990年春に茨城県美浦トレーニングセンターの笹倉武久厩舎へ入った[4]。, 馬房では大人しい馬だったが、人が跨ると徹底的に反抗する性格で調教に手間取り、デビューに向けての必修審査となるゲート(発馬)試験の通過にも4か月を要した[5]。このため初戦は翌1991年まで遅れた。, 1991年3月2日、中山開催の新馬戦でデビュー。このとき笹倉は騎手の石塚信広に対して「好きなように走らせろ。ハナ(先頭)に立て。あとは舵をとるだけでいい」という「指示」のみを与えた[6]。レースは指示通りスタートからの逃げ切りで、2着に3馬身差を付けての初戦勝利を挙げた。, 次走の条件戦も逃げ切って連勝。続いては東京優駿(日本ダービー)への出走権確保のため、鞍上を大崎昭一に替え、トライアル競走の青葉賞に出走した。しかし最後の直線半ばで失速して9着に終わり、初の敗戦を喫する。続く条件戦も柴田政人騎乗で5着と敗れたが、重賞初出走となったラジオたんぱ賞(大崎昭一騎乗)では、向正面で後続に大きな差を付けるレース運びから最後の直線を逃げ切り、重賞初勝利を挙げた。これは笹倉にとっても初めてのサラブレッド系重賞勝利であった。, 盛夏を休養に充て、秋季はセントライト記念から始動。引き続き大崎を背にストロングカイザーからクビ差の2着と逃げ粘り、また東京優駿2着のレオダーバンをクビ差抑えた。この後、4歳クラシック最終戦の菊花賞を回避し、ラジオたんぱ賞と同じく福島競馬場で行われるGIII・福島記念に出走。前走に続き2着となった。, 年末にはグランプリ競走・有馬記念でGIに初出走する。しかし14着と大敗を喫し、さらに競走後には鼻出血が判明。翌年には体調を崩して長期休養を余儀なくされた。翌1992年11月にオープン特別戦で復帰。当日1番人気に支持されるも、10着に終わった。以後も復調は見られず、翌1993年春季いっぱいまで連敗を重ねた。, 7月に入り、良績を挙げていた福島競馬場で行われる七夕賞に出走。従来見られたスタートの遅さを解消するため、本競走からスタート巧者であり、逃げ戦法を得意とする中舘英二が鞍上に迎えられた[7]。中舘自身、新馬戦からツインターボの走りに注目し、「一度乗ってみたい」と考えていたという[7]。当日は福島競馬場の入場人員記録となる47391人が集まり、この中で中舘ツインターボは前半1000メートルを57秒4というハイペースで大逃げを打った。そのままゴールまで失速することなく、2着アイルトンシンボリに4馬身差を付けて逃げ切り、約2年ぶりの勝利を挙げた。中舘はこのときのレース振りを「僕は掴まっていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」と語っている[8]。, 2か月後、秋初戦としてオールカマーに出走。当年の天皇賞(春)を含むGI競走2勝のライスシャワーら一線級が相手となったが、当日はライスシャワーと桜花賞優勝馬シスタートウショウに次ぐ3番人気に支持された。レースは常の通りスタートから先頭を奪い、向正面では2番手ホワイトストーンに約10馬身、さらにその後続集団まで10馬身以上という大差を付けて逃げ続けた。ただ1頭で最後の直線に入ると、ゴールまで脚は鈍らず、2着ハシルショウグンに5馬身差を付けて重賞2連勝を遂げた。2番手を進んだホワイトストーン騎乗の柴田政人が「あれ以上深追いしてたらホワイトストーンが潰れていた[9]」と語るように、後続が無理な追走で共倒れすることを恐れた結果であったが、ツインターボの前半1000メートル通過は59秒5と比較的早い程度のペースであった。中舘は競走後にパトロールフィルムを見た際の感想として「何でこんなに離れているんだろうって、信じられなかった」と述べている[9]。, 次走に臨んだ天皇賞(秋)では、前日発売で1番人気、当日は3番人気に支持されたが、逃げ潰れての最下位17着に敗れた。以後は大逃げを打っては直線手前で失速するといったレースを繰り返し、結局オールカマー以降はJRAでは勝利を挙げられなかった。中舘は「オールカマーで燃え尽きちゃったような気もする」と語ったが[9]、不振の最中にあっても、その潔い「負けぶり」からファンの支持を集め続けた。, 1995年には公営・上山競馬へと転厩する。転厩後の初戦を勝利したもののその後は連敗し、9歳となった1996年のクラスターカップを最後に引退。以後は宮城県の齊藤牧場で種牡馬入りするも、5頭の産駒を残したのみで、1998年1月15日に心不全で死亡した。, なお2014年に行った「JRA60周年記念記念競走メモリアルレース」として、この年の七夕賞(7月13日)の準メインレースとして「韋駄天 ツインターボカップ」が行われている。レース名はファン投票で決められたが、ツインターボは2位のミヤビランベリの倍以上の得票数を獲得している[10]。, 逃げ切り圧勝か、さもなければ失速惨敗というレース振りから、俗に「玉砕型」と呼ばれるタイプの逃げ馬の象徴的な存在となっており、2004年に日本中央競馬会の広報誌『優駿』が行った「個性派ホースベスト10」という企画において、1980-2000年代の逃げ馬部門で識者・読者双方の投票でいずれもサイレンススズカに次ぐ第2位に選ばれた[11]。サイレンススズカは「強い逃げ馬」の筆頭として名を挙げられており、選者を務めた須田鷹雄は、識者投票の席上で事前に「サイレンススズカを選ぶ方向なのか、ツインターボを選ぶ方向なのか」という議論があったとしている[12]。, この企画でツインターボの講評を担当した山河拓也は、「玉砕また玉砕。しかし、99回玉砕しても百回目には逃げ切るんじゃないか、と期待された」「観客の頬はどれも『いつ止まる?』と緩んでいた。そして失速後退の瞬間、彼の馬券を握っていた者も握っていない者も大声で笑った。悲壮感なき玉砕。こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ」と評した[13]。また、競馬漫画家のよしだみほは自著の中で「あの大逃げが決まったときは本当に気持ちよかったし、逆につかまるときも良かったよね」「大きいところは勝ってないけど、こういう馬がいないと競馬は楽しくないよね。大好きな馬でした」と語っている[14]。こうした人気は、日本中央競馬会が2000年に行った名馬選定企画「Dream Horses 2000」でファン投票により848票を集め、第91位に選ばれたところにも反映されており[15]、GI(グレード制導入前の八大競走を含む)未勝利馬の100位以内選出は、ほかにステイゴールド(34位、企画実施後にGI勝利)とナイスネイチャ(71位)のみであった。, 同時期に活躍していた個性派逃げ馬にはメジロパーマーがいる。よしだみほの漫画『馬なり1ハロン劇場』の「なんでもアリ馬記念」では、「ハナを切るメジロパーマー、ケンカを売るツインターボ」というシーンが描かれている。オールカマーを逃げ切ったとき、騎手の中舘は記者に、天皇賞(秋)でのメジロパーマーとの逃げ対決について水を向けられ、「テンの速さならツインターボの方が上。」と言い切って自信を見せた。結局パーマーは出走せず、このあとも両馬がレースで顔を合わせることはなかったためこの対決は幻に終わったが、1991年から1994年までの有馬記念ではどちらか1頭が必ず出走しており、大逃げでレースを盛り上げた。, 「Dream Horses 2000」の誌上講評会においては、作家の吉川良がツインターボの選出に絡めて「今の競馬をつまらなくしているのは、みんな同じような乗り方をする騎手にも責任があると思うんだ」として[16]、画一的な騎乗の蔓延に苦言を呈した。なお、ツインターボが競走生活を通して逃げなかったのは、スタートで出遅れて最下位となった帝王賞(公営・大井)のみだった。このとき騎乗した武豊は「最初から逃げるつもりはなかった」という主旨の発言を行い、これに対してライターの加藤栄が、大逃げを見たいという主催者とファンの期待に背いたとして「武はまったくもってつまらない競馬をした」と批判[17]。また、逃げなかったことで「生涯逃げ馬じゃなくなっちゃった。ツインターボの経歴に傷を付けた」と非難した[17]。, 父ライラリッジはアメリカで競走生活を送ったが、下級競走で2勝を挙げたのみで終わっている[18]。種牡馬としてもツインターボ以外に目立った産駒は出していない。おもな母系近親には、母の従兄弟にラジオたんぱ賞の勝利馬アキビンゴがいる[18]。またツインターボの半弟ゲイリーミナレットは4勝を挙げ、GIII・マーキュリーカップで3着の成績がある。, 『優駿』1998年4月号 p.70「"最後の個性派"宮城に死す - ツインターボ、心不全で死亡」, よしだみほ『よしだみほの20世紀100名馬』(ワニブックス、2000年)p.172, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ツインターボ_(競走馬)&oldid=80050174, 柴田哲孝『伝説のバイプレイヤー - 歴史に残らなかった馬が残した物語』(KKベストセラーズ、1998年). 45, ツインターボは極端すぎるレース運びで人気者になった競走馬。サイレンススズカに続き1980-2000年代の逃げ馬部門では2位となっています。 よっぽど展開が向かないと大レースを勝てないような能力に…, 観客「おいおい、ツインターボに負けるとか(ヒソヒソ)」「そんなウマ娘が、ブルボンやマックイーンの偉業を阻止したのかよ(ヒソヒソ)」, 曇らせて曇らせて曇らせてからの最高の笑顔こそライスちゃん! ツインターボの先頭はここで終わり! 1 : 名無しさん@実況で競馬板アウト :2018/06/21(木) 22:33:51.53 ID:svRQ8kKv0.net 実況のワンフレーズから勝ち馬を言い当てるスレ マイナーチェンジを受けた日産「スカイライン」に追加された3.0リッターv型6気筒ツインターボエンジン搭載モデルに今尾直樹が試乗した。印象はいかに? AUTHOR : web option 編集部. マイナーチェンジを受けた日産「スカイライン」に追加された3.0リッターV型6気筒ツインターボエンジン搭載モデルに今尾直樹が試乗した。印象はいかに?, 2019年7月に登場した日産の新型「スカイライン」は、2014年に販売開始されたV37型の、いわゆるビッグマイナーチェンジだったわけだけれど、インフィニティのメガネみたいなマークが消えて、日産のアイデンティティである“Vモーショングリル”に変わった。, リア・エンドにはスカイライン伝統の丸型4灯ライトを復活させてもいる。インフィニティ「Q50」を名乗る海外仕様との統一路線をあらため、国内は「スカイライン」でいくことを日産ははっきり打ち出したのだ。スカイラインのファンは溜飲の下がる思いだったのではあるまいか。, 【主要諸元(GT Type P)】全長×全幅×全高:4810mm×1820mm×1440mm、ホイールベース:2850mm、車両重量:1710kg、乗車定員:5名、エンジン:2997ccV型6気筒DOHCツインターボ(304ps/6400rpm、400Nm/1600〜5200rpm)、トランスミッション:7AT、駆動方式:RR、タイヤサイズ:225/50RF18、価格:463万8700円(OP含まず)。, スカイラインこそ“技術の日産”の象徴である。とばかりに、高速道路でのナビ連動ルート走行と同一車線内でのハンズオフ(手放し運転)機能という“世界初の先進運転支援技術”を投入。以前よりもステアリングがクイクイ動くこの「プロパイロット2.0」には筆者も驚嘆! 案外、自動運転は近いのかも……と、思いを新たにした。, しかしながら、運転支援技術なんていうのはスカイライン・ファンにとって、座興のひとつにすぎない。古いヤツだとお思いでしょうが、新型スカイラインで真に注目すべきは、ここにご紹介する3.0リッターV型6気筒ツインターボ・エンジンである。, ボディは全長×全幅×全高:4810mm×1820mm×1440mm。パワートレーンは3.0リッターV型6気筒ツインターボのほか、3.5リッターV型6気筒+モーターのハイブリッド仕様の2種類。, インフィニティQ50の2016年モデルから搭載されたこの「VR30DDTTユニット」は、オール・アルミの軽量・小型設計の日産新世代V型6気筒DOHCである。シリンダーごとにインジェクターを配した直噴で、電動ウェイストゲート付きのターボチャージャーとインタークーラーを各バンクに備えている。ツインターボ過給による最高出力は304ps/ 6400rpm、最大トルクは400Nm/1600〜5200rpmを誇る。, 搭載するエンジンは、2997cV型6気筒DOHCツインターボ(304ps/6400rpm、400Nm/1600〜5200rpm)。WLTCモード燃費は10.0km/L。, 試乗車のGTタイプPは、3種類あるグレードのうちの中間だけれど、装備は一番上のタイプSPと遜色ない。明瞭な違いはタイプSPが19インチとなるのに対して、こちらは18インチを履くことだ。, というようなデータはあとから確認したわけだけれど、走り始めてすぐ、「これはいいクルマだ!」と、筆者は直感した。じつは私自身、ちょっと意外だった。ビッグマイナーを受けたとはいえ、デビューからすでに5年も経っている。古いヤツなんである。という先入観もあって、タカをくくっていた、のかもしれない。で、なにがいいのか、あれこれ考えた。, 結局、3.0リッターV型6気筒ツインターボで、後輪駆動の中型セダン、という古典的な成り立ちがいいのだ。いまどき3.0リッターV型6気筒ツインターボなんて贅沢なエンジンを、どこがつくっているのかといえば、すぐに思い浮かぶのがマセラティ、あるいはアルファ・ロメオ、ということはともにフェラーリ製である。, マセラティ「ギブリ」の2979ccV型6気筒は350ps、500Nm、アルファ・ロメオの「ジュリア クアドリフォリオ」は2891ccV型6気筒でちょっと排気量が小さいけれど、510ps、600Nmという超高性能ぶりを発揮している。スカイラインには「400R」用の405psと475Nmを生み出すVR30DDTTの強化版がある。, 較べる相手がフェラーリである。少々数値的に落ちるのは恥ずかしいことでもなんでもない。官能面でも、イタリア製にはもちろん負けている。あれほど泣き叫んだりはしない。ニッポンの美意識は、わびさび、辛抱にある。かの国のエンジンより信頼性と耐久性の面で較べものにならないほどすぐれている(、と信じたい)。, 搭載する3.0リッターV型6気筒ツインターボ・エンジンは、小径のタービンとコンプレッサーのターボチャージャーを採用。, ちょっと華やかにすぎる名前を思いついてしまったのは失敗だったかも……。いや、ニッポンにはニッポンのよきところがある。あちらがスパゲッティなら、こちらには、そばとうどん。きしめん。夏が来たら、そうめんもいい。ニッポン人なら、ツルっといきたい。ああいう喉ごしのよさ、に通じる滑らかさが新型スカイラインGTにはある。, それを、屋台でちょいと食べているみたいな風情がある。それは乗り心地がランフラット・タイヤを履いているのもあって、ほんの心持ち揺れるのと、ボディの剛性感が最新ドイツ勢に較べたらちょいとユルイというか、フツーなせいによるのかもしれない。, けれど、そういうのは覚悟のうえだ。こちとら江戸っ子じゃないけど、なんといってもスカイラインは後輪駆動なんでげす。と、太鼓持ちになっちゃったよ。後輪駆動はなにがいいか。ステアリング・フィールがいい。世にあまたある前輪駆動に較べて、操舵系が駆動力の干渉を受けない。そういう、生まれついての筋がいいのである、スカイラインは。, インパネは、ふたつのモニターを上下に設置。上段がナビ用、下段がエアコンやインフォテインメント用。, いまどき珍しい3.0リッターという大排気量で、6気筒というマルチ・シリンダー。これは、いくらおなじような、あるいはスカイラインGTターボ以上の最高出力と最大トルクを発揮しているといっても、近頃世にはびこる2.0リッターの4気筒ターボとは味わいが違う。しかも、電気モーターの力をいっさい借りていない。そこには3.0リッターV型6気筒ツインターボのピュア・ガソリン・エンジンならではのレスポンスがある。, 最高出力304psと最大トルク400Nmって、リアル・ワールドでは十分すぎるパワーとトルクで、アクセルを軽く踏み込んだだけで、ここには書けない速度に瞬時に達する。速くて、ちょっと荒っぽくて、ある意味では古いくさい。スカイラインGTかくあるべし、である。, VR30DDTTを搭載するスカイラインGTターボには、プロパイロット2.0が搭載されていないところもいい。古いヤツとお思いでしょうが、自動車ってのは人間が運転して楽しむ乗り物なのである。古いヤツほど新しいモノを欲しがるものなのかもしれないけれど、少なくともインテリジェント・モビリティはスカイラインGTには似合わない。, スカイラインでもGTというのは、極東のエンジニアがたまさかポルシェと戦う宿命を背負うことになっちゃって、つくりあげたブランドである。その意味で、GT-Rとの分離は不幸な出来事だった、と、個人的には思うけれど、過去は変えられない。VR30DDTT搭載を嚆矢としてスカイラインGTの反撃を期待したい。ポルシェ「タイカン」に対抗するエレクトリック・スカイラインが出てもいいじゃないか。話は違いますけど。, 新型スカイラインの発売1カ月半後に日産が発表した受注実績によれば、プロパイロット2.0搭載のハイブリッドが48 %で、GTターボが52%。そのターボのなかでも400Rが半分を占めているという。スカイラインGTかくあるべし。と考えているのは、筆者のみならずである。, ※2014年3月31日以前更新記事内の掲載商品価格は、消費税5%時の税込価格、2014年4月1日更新記事内の掲載商品価格は、消費税抜きの本体価格となります.