スカイベリー 清美のブログ(きらめき☆アン) ~思春期に野口五郎に出逢い 恋をして… 乙女(笑)の今もずっーと恋してます♪ そんなgoroな日々と日常を綴ります~ 作曲は野口五郎の実兄・佐藤寛だが、編曲が筒美京平。ロックと言うよりはソウルに近いファンキーかつクールなアレンジは必聴。 3曲目は、個人的な野口五郎フェイバリット=『グッド・ラック』(78年)。作曲が筒美京平(編曲は高田弘)。 0570-017-329(受付時間 9:00~18:00/年中無休 *年末年始を除く). 野口五郎のギター演奏がすごすぎる! 野口さんといえば自身の楽曲でギターを演奏している姿もよく見られますが、実は楽曲に合わせて少し弾けるという表現では全く足りないほどの演奏技術の持ち主なの … 『筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1977 2013Edition』である。’97年に筒美の作曲家生活30周年を記念して発売された8枚組のCD-BOX『筒美京平 HITSTORY』。それから15年経った ‘13年に、その後に世に出たヒット曲を新たに収録した1枚を追加し、45年間の集大成として、新装版で再リリースされたのだ。, 9枚のディスクは、ほぼ年代順にヒット曲全173曲が収録されている。 ポータブルレコードプレイヤーで、キャンディーズのシングルを聴いたり、アブドーラ・ザ・ブッチャーやテリー・ファンクになりきったプロレスごっこをしたりと、夕陽の差すシオタの部屋で、他愛のない時間を過ごすのだが。, その部屋の奥に、シオタの兄貴(大学生)の部屋があったのだ。扉はめったに開くことなく謎めいているのだが、偶然、何かの拍子に扉が開いた。中には、洋楽のレコードがぎっしり並んでいて、壁にはイーグルスのポスターが貼ってあって、その横には、レスポールモデルのエレキギター。, 扉の中から出できたのは、初めて見るシオタの兄貴。髪は襟にも届きそうな長髪で、でもうす汚い感じではなく、きれいにブローされている。冬だったのだろうか、暖かそうなダウンジャケットに身を包み、キャメル(タバコ)をポケットに突っ込んで、無言で部屋を出ていった――。, 余談が長くなったが、私にとっての野口五郎像は、このシオタの兄貴と重なるのだ。ロック好きなんだけれど物静かな、シュッとしたハンサム。, 「ロック好き」と「物静か」――この一見、相反する要素の両立が、(70年代の)野口五郎の絶妙な立ち位置を表していると思う。超絶ギターテクニックを誇るほど、ロックに親しんでいるにもかかわらず、決してシャウトせず、美しくビブラートを効かせるエレガントなボーカリスト。, そう、エレガントなのである。上品にして優美。激しいロック(ンロール)から絶妙に距離を置いた、野口五郎ならではのエレガントな音楽性こそが、西城秀樹と郷ひろみと差別化した、独自の音楽的ポジションを築かせたと考えるのだ。, そのエレガントな音楽性には、仕掛け人がいた。筒美京平である。言うまでもなく、日本作曲界のレジェンド中のレジェンド。, めっぽう多作な筒美京平であるがゆえ、西城秀樹にも郷ひろみにも曲を提供しているのだが、榊ひろと『筒美京平ヒットストーリー1967-1998』(白夜書房)によれば「筒美京平にとって野口五郎は、15年以上の長期間にわたって約90曲の作品を提供した最重要アーティストのひとりである」となる。, 本原稿では、個人的に思い入れのある、野口五郎×筒美京平作品を数曲取り上げて、その魅力について語ってみたいと思う。いずれにしてもポイントは、ロックから距離を置いたエレガントさである。, まずは74年の『甘い生活』。作・編曲が筒美京平。野口五郎の代表曲と言えば、翌年の『私鉄沿線』となるが、売上枚数では『甘い生活』の方が上回る(49.4万枚)。, まずはタイトルからして、フェデリコ・フェリーニによるイタリア映画からの引用であり、楽曲全体に、カンツォーネのようなヨーロピアン・エレガントが溢れている。聴きどころは、筒美京平自身によるストリングスやホーンの壮大なアレンジ。, 私は、「昭和歌謡」という乱雑な言葉を好まないが、その魅力としての壮大・壮厳・勇壮なアレンジを激しく好む者である。この『甘い生活』は、そんな伴奏の上に、野口五郎の高く細いビブラートが乗っかり、甘くとろけるエレガントが満点の出来となっている。, 尾崎紀世彦『また逢う日まで』(71年)、布施明『積木の部屋』(74年)と並ぶ「同棲解消歌謡」。2人が住んだアパートは、それこそ「私鉄沿線」=小田急線沿いだったような気がする。狭い木造アパートの扉から出て来るのは、シオタの兄貴のようなハンサムだ。, 次にご紹介したいのは、77年のシングル『むさし野詩人』。ここで登場するのが作詞家・松本隆。松本隆と言えば最近、『赤いスイートピー』など、80年代前半の松田聖子楽曲で語られることが多いが、70年代の松本隆には、80年代作品にはない、独特の優美さに満ちている。, 『むさし野詩人』という個性的なタイトルに加えて、「♪15行目から恋をして 20行目で終ったよ」というサビの歌詞が実に美しい。作曲は野口五郎の実兄・佐藤寛だが、編曲が筒美京平。ロックと言うよりはソウルに近いファンキーかつクールなアレンジは必聴。, 3曲目は、個人的な野口五郎フェイバリット=『グッド・ラック』(78年)。作曲が筒美京平(編曲は高田弘)。これもロックと言うよりは、当時風に言えば完全に「AOR」の音である。ティーン向けというよりは、より大人に向けて、上品に作り込まれたコンテンポラリー・サウンド。, 作詞・山川啓介による「♪男は心にオーデコロンをつけちゃいけない」というフレーズの見事さはどうだ。この後、野口五郎は、翌年のシングル『女になって出直せよ』(これも筒美京平作品)で「AOR歌謡」を極めることとなる。, 独特の器用さ、特に抜群のお笑い感覚(コント演者としては、桜田淳子と並んで当時の歌謡界の最高峰)によって、音楽家・野口五郎の輪郭が見えにくくなった感が当時あった。今年は野口五郎デビュー50周年。これを機に、彼の音楽性に埋め込まれた「筒美京平エレガント」を確かめてみるのも悪くない。, 1966年11月26日生まれ、大阪府出身。音楽評論家にして、野球評論家でもある稀有な存在。大学在学中に“スージー鈴木”名義でラジオデビュー。その後もラジオ出演や執筆活動を精力的にこなす。著作に『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮社)、『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲の解放区』(KADOKAWA)、『80年代音楽解体新書』(彩流社)など多数。BS放送『ザ・カセットテープ・ミュージック』(BS12 トゥエルビ)にレギュラー出演中。千葉ロッテマリーンズの熱烈なファンとしても知られている。, Tel. Copyright WOWOW PLUS INC. All Rights Reserved. 01.異邦人 ... 作詞 : 松本隆 作曲 : 野口五郎 ... ドラムス アンディー・ニューマーク ベース トニー・レヴィン ウィル・リー ギター 歌謡ポップス界の巨人・筒美京平が逝った——。その人は数多くの伝説的な名曲を残した一方で、ある疑惑をもたれた作曲家でもあった。, 『ブルー・ライト・ヨコハマ』や『また逢う日まで』をはじめ数多くのヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが、今月7日、誤嚥性肺炎のために亡くなった。80歳だった。近年はパーキンソン病を患っていたという。, 青山学院大学経済学部卒業後、日本グラモフォン(後のポリドール・レコード→ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、作曲家のすぎやまこういちに師事し作編曲を学んだ。, ‘66年、『黄色いレモン』(藤浩一ほか)で作曲家デビュー。‘68年の『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ)が、自身初のオリコン週間1位を獲得。作曲家としての地位を不動のものとし、以来ヒットメーカーとして50年にわたり活躍する。作曲作品の総売上枚数は、7560万枚で作曲家歴代1位、ヒットチャートランクインは500曲以上、そのうちチャート1位獲得は何と39曲である。, ‘13年、とてつもないCDセットが発売された。 筒美はこの年、尾崎紀世彦『また逢う日まで』で大賞を射止め、さらに大衆賞の堺正章『さらば恋人』、新人賞の南沙織『17才』、作曲賞に朝丘雪路『雨がやんだら』と平山三紀『真夏の出来事』、歌唱賞に渚ゆう子『さいはて慕情』と、賞を受賞した6つの楽曲で作曲に携わっていたのだ。, ヒットメーカーとして君臨し続けた筒美京平だが、筆者には筒美京平と言えば思い出される言葉があった。, 実は筒美京平は、全盛時「パクリの帝王」というちっとも嬉しくない異名をつけられたことがあったのだ。, ‘71年、デビュー曲の『17才』が、米国のカントリーシンガー、リン・アンダーソンの名曲『ローズガーデン』(’70年)とそっくりだというのだ。衝撃だった。これは、その当時もラジオで話題になったのをよく覚えている。, また、彼女の‘72年リリースの『純潔』は、「イギリスのミュージシャン、ヴァン・モリソンの『Wild Night』のイントロをパクっている」と言われたものだ。, ‘70年代、現在と違って音楽情報は乏しいものだった。特に地方在住者にとって、情報源はラジオしかなかった。ましてや海外の音楽情報なんて知る由もない。, おそらく、ラジオ局の洋楽担当やレコード会社のディレクターあたりが、様々な音源の中から「元歌」的な楽曲を見つけ出して、「あの曲はこの曲が元歌だ!」などと自慢げに話したことから、喧伝されていったのだろう。ラジオでも「元歌」が紹介され、我々は衝撃を受けたものだ。, パクリと称された楽曲は他にもある。 イントロのフレーズ、歌い出しで無伴奏になるところなど確かに似ている。「あ、そっくり!」と一瞬思うのだが、その後『17才』は歌謡曲らしい少しばかりウェットなサビへと向かっていくのだが、『ローズ〜』の方は、カントリーソングそのものの展開を繰り広げる。どうも、「パクリ」と呼べるほど全体が酷似しているわけではない。, 次に『純潔』。聴いてみると、イントロのギターフレーズは同じである。しかし、これまた楽曲の本体に入るとコード進行こそ類似点はあるのだが、まったく違うジャンルの曲である。『純潔』には日本のポップス、歌謡曲の要素がしっかり入れられているのだ。, 岩崎宏美の『ロマンス』は、『ハッスル』とアレンジの所々に似たような部分があるが、これはパクリとは言えないだろう。, ‘83年の野口五郎の『19:00の街』の元歌は、バーブラ・ストライザンドの『ウーマン・イン・ラブ』(’80年)という説。, これは似ている。イントロや歌い出しもそっくりである。元歌のハイセンスで都会的なムードを日本のポップスの表現方法で演じたらこうなる、という見本のような楽曲。面白いことに似ている部分は確かにたくさんあるのだが、聴けば聴くほど「違う曲」という印象が強くなっていくのだ。, さらにもっと話題になった「パクリ疑惑」の曲があった。それは、マチャアキこと堺正章の『さらば恋人』である。名曲の誉高いこの曲が、実はアメリカの大ヒット曲『カリフォルニアの青い空』のパクリだと言うのだ。, よくもまあ、あんなに有名な曲をと思われるのだが、聴き比べてみると確かにイントロ、歌い出し、全体の構成もよく似ている。一番似ていると言ってもいいだろう。もっと言うと、『さらば恋人』の方が、『カリフォルニア〜』よりも楽曲として良くできている気がする。, 調べてみて驚いた。「パクリ疑惑」では有名なこの『さらば恋人』。 3月3日のサワコの朝にゲスト出演するのは歌手であり俳優としても活動している、野口五郎さん。, 今回は歌手活動に焦点を当てて、野口五郎さんの歌唱力や演奏楽器のギターの腕について紹介して行きます。, 現在は舞台俳優活動やコンサートツアーでの歌手活動が中心となっている野口五郎さんは芸歴45年を超えるベテラン歌手です。, 1970年代には西城秀樹さんや郷ひろみさんと並んで御三家と呼ばれるトップアイドルの一人として活動していました。, 野口さんは2015年7月29日にシングル「再会タイムマシン/Rainy〜会えない週末」を発売して以降個人での新曲のリリースはしていません。, しかし2017年には他アーティストとのデュエットカバーアルバムを出したり2018年にセルフカバーアルバムを発売するなど、歌手としての活動は続いています。, それぞれ当時の歌い方とは現在は少し違うところもあるでしょうが、今の歌声は深さのある柔らかな声で歌われていますね。, 公式ティーザー映像もYouTubeで公開されていますのでその歌声を聞くことができます。, 両親はアマチュア楽団「青空楽団」の歌手であり、幼少期から音楽に触れていた野口さんはちびっこのど自慢に出場して優勝しています。, 本格的に歌手を目指し活動を始め、中学生の時に声がかかり上京し15歳で演歌歌手デビュー、当時最年少記録となる16歳で紅白歌合戦に出場するといった経歴があります。, 毎年行われる恒例のバースデーライブはソールドアウトですし当時のファンも含めてもまだまだ人気の集まっている歌手であるといえます。, 幼少期からの努力や才能、歳を重ねるからこその魅力も合間って歌声や歌唱の実力は増していくばかりなのではないでしょうか。, 野口さんといえば自身の楽曲でギターを演奏している姿もよく見られますが、実は楽曲に合わせて少し弾けるという表現では全く足りないほどの演奏技術の持ち主なのです!, 歌手としての活動歴よりギタリストとしての活動歴の方が長く、中学生の時からキャバレーなどのライブハウスで演奏するハコバンに在籍していたそうです。, これまでにギターメーカー主催のイベントで演奏したり、野口五郎モデルのギターが発売されたりもしています。, またカルロス・サンタナのヒットシングルを日本語歌詞でカバーした際にサンタナ本人と面会したりとギタリストとしての活動にも力を入れてきたことがわかります。, ギターインストアルバムをこれまでに3枚発売しているので野口さんの歌声と切り離してギターの演奏のみに注目して聞きたいと思う人はぜひ聞いてみてください!, 以上、歌手としてもまだまだ精力的に活動を続けておりギター演奏もかなりの実力の持ち主である野口五郎さんについて紹介しました。, ギター演奏や歌唱している姿からは想像できないお茶目な性格の野口さんのトーク姿をサワコの朝で合わせて楽しんでみてはいかがでしょうか。, 大城バネサの今現在はカフェオーナー!?店の場所や味の評判や昔の解雇理由は?爆報フライデー, 梅原達也の結婚した嫁(妻)や息子との現在や病気の症状は?(44マグナム/ハートネットTV), 工藤秀平の出身大学や年齢身長は?イケメンだけど結婚や彼女は?(Goose house). 筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1977 2013Edition. © 2018 Kodansha Ltd. All rights reserved. 2600曲以上と言われる筒美の作品数からすればたった173曲だから、少ないと言えば少ないのだが、曲名を眺めているだけで、昭和の歌謡史が浮かび上がってくるほどのラインナップである。, ‘60年代には、いしだあゆみ、弘田三枝子などの他にもGS(グループ・サウンズ)のヴィレッジシンガーズ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツや熱狂的なファンを持っていたオックスなどにも曲を提供した。, ‘70年代になると、作詞家の阿久悠と組んで、『魅せられて』(ジュディ・オング)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)、松本隆と『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)を大ヒットさせる。, また、『17才』から『純潔』『ひとかけらの純情』などデビューしたての南沙織の名曲群、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹の新御三家にもヒット曲を提供、岩崎宏美にも『ロマンス』、『センチメンタル』を与え、一躍彼らはスターダムを駆け上ることになった。, ‘80年代には、近藤真彦の『スニーカーぶる〜す』、『ギンギラギンにさりげなく』をはじめ、田原俊彦の『原宿キッス』、さらに松本伊代、早見優、河合奈保子、柏原芳恵などの新人アイドルにも多くの楽曲を提供している。, 驚くのは‘71年の『レコ大』こと『日本レコード大賞』である。 ‘71年のオリコンの年間チャート10位を記録し、先述の通りレコード大賞の大衆賞も受賞している。一方の『カリフォルニアの青い空』のリリースは、’72年10月。なんと、『さらば』の方が先に作られていたのだ。, 海外のロック・ミュージックに詳しい音楽評論家の増渕英紀さんは、海外の楽曲に技法が近いのは、実は筒美さんの弟の存在も大きいと言う。, 「筒美京平さんの実弟は、外資系レコード会社のディレクター&プロデューサーで、洋楽の情報を信じられないほど知っていたんです。筒美さんは、彼から洋楽の情報を仕入れていたようですね。ヴァン・モリソンなんてマニアックなところから引き出して来られたのは、弟さんの存在があったからでしょう」, いろいろ探っていくと、こんなエピソードに遭遇した。 南沙織との初対面で、筒美さんは彼女に「どんな曲を知ってるの?」と尋ねた。すると、南沙織は『ローズガーデン』と言ったのだ。確かに当時、ラジオをかければ『ローズガーデン』が流れていた。そこで、筒美さんは「あ、だったらローズガーデンみたいなのを作ろう」と言って、できたのが『17才』だったというのだ。, ‘80年代、ダンス・ミュージックやヒップホップの登場で注目された表現に「サンプリング」という表現技法がある。過去の楽曲や音源の一部を流用し、再構築して新たな楽曲を製作する音楽製作法・表現のことである。これらが使われる理由には、元の楽曲のイメージによる効果や、オマージュなど様々である。現在の音楽シーンから見ると、筒美の行った作業はこのサンプリングに非常に近いことだったように思える。, おそらく、「こういう感じの曲」という引き出しが限りなくあるのだろう。そして、弟の情報提供も参考にしたのかもしれない。筒美京平という人は、洋楽の様々なエッセンスを日本のポップス・歌謡曲という文脈に取り入れるプロダクトに長けていたに違いない。, こうして見ると、筒美の音楽づくりは「パクリ」というものでは決してない。それどころか、筒美が取り入れて消化したエッセンスが、日本の音楽界に与えた彩りの方に注目すべきなのだ。, 本サイトに掲載されているすべての文章・画像の著作権は講談社に帰属します。他サイトや他媒体への無断転載・複製行為は固く禁止します。. 1977-9-10 mr3075 : side a. ‘75年の岩崎宏美の『ロマンス』は、ディスコサウンドの『ハッスル』(スターライト・オーケストラ)のパクリ。’83年の野口五郎の『19:00の街』の元歌は、バーブラ・ストライザンドの『ウーマン・イン・ラブ』(‘80年)という説。, ’70年代には、ラジオから流れる「パクリ説」を「そうだったんだ」と、何だか切ない思いに暮れるしかなかった。しかし、現代、我々にはインターネットという便利なソースがある。今回、「パクリ疑惑」のあった楽曲と「元歌」を比較し、検証してみた。, まず南沙織の『17才』。 数多くのヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが、今月7日、誤嚥性肺炎のために亡くなった。80歳だった。彼の曲を巡っては一時期「パクリ騒動」が起こったことも。しかしそれも、優秀な能力に …