匿名 2016/02/07(日) 13:31:25  ID:9KINPjupR5, 112. ID:oYBDHDgc2b, 安室奈美恵「ごはんにのりたまは譲れない」「ライブ前にはとんこつラーメンを食べる」など庶民派な一面を明かす, 年収300万円の20代独身男性「国は婚活パーティーに税金を使うべき。そうすれば結婚したい人も子どもも増える」, 「小遣い月1万3000円、昼食代込み。家事育児も疲れた」という夫に同情の声相次ぐ 「下僕のようで可哀そう」, ジャニーズWEST、関ジャニ∞となにわ男子の活躍に「飛ばされてるんです、僕ら」と本音……USJアンバサダーめぐりファンも「複雑」「切ない」, ヘルタースケルターの映画でむしの女がかかった時はびっくりしてなんだか心がざわついた, マガジンハウスとかの出してる雑誌、anan(当時のananは今と雰囲気違った)とかに玉姫様かな?のアルバムの広告が載ってて独特な世界観なのでずっと見つめてしまった。何か惹かれるものがあったのかも。, 水曜日のカンパネラってバンドの曲こないだ聴いたけど、奇をてらってる感じはあっても他になんの印象にも残らなかった。, 戸川純はエキセントリックでメンヘラで、妹の戸川京子は現実的でしっかりしているって印象だったから、まさか妹の方が自殺するとは思ってもみなかった。, 平沢進経由で 戸川純を知ってはいたけど 人物像が今一つつかめない感じだった。鳥居みゆきとかカンパネラっぽいんですね。歌唱も独特ですよね(^-^) ラジャマハラジャを子供時代よく聴いてたから あぁ~あの人か‼ と なりました, 家族ゲームで団地住まいの戸川純さんが舅さんが亡くなって、その亡骸をいれた棺おけをどうやって降ろして運ぼうかと由紀さおりさんに相談してましたよね, 20年位前高校生の時初めてバーバラセクサロイドを聴いて何ちゅーかっこいい曲やー!っとファンになりました。, 数年前、電車の中でお見かけしました。目立たないようにされているのか、驚くほど普通の方でした。, 昔純ちゃんのライブめっちゃ行ってました。今でも純ちゃんのグッズやビデオや切抜きは捨てられない。, 何かの番組で戸川純がお着物着てたんですけど、似合いすぎだし色っぽくてすっごく素敵だった♡, 幽遊白書の同人誌を出してた榎本ナリコ(別名野火ノビタ)っていう方が戸川純の歌詞をテーマにした本を出していて知った, アングラ、サブカルポジションと思いきや、北野武やタモリさんなど大御所と共演やメジャーなドラマ、映画、CMも出れちゃう凄い人。, 椎名林檎や鳥居みゆきに影響を与えた「戸川純」というオンナ。 - NAVER まとめ, Susumu Hirasawa - Sanchou Harete - YouTube, □玉姫様 / 夢見る約束 - 戸川 純 [日本の爽やかな朝] - niconico. コメント (0), 学生時代はそれはもうありとあらゆるマンガを読んでいたのだが、大学を卒業して社会人になるにあたって大部分を処分した。処分の理由は、アパートからの引越しの荷物をなんとか減らしたかったからだが、社会人になってまでマンガもなかろうと、心の中では思っていた。大部分のマンガは古本屋に売ったり、人に進呈したりしたのだが、マンガと完全に決別するというわけではなく、経過措置として今連載されているマンガが連載を終えるまでは読もうと思っていた。また、亭主がこれまで生きて来たなかで、とくに大きく影響を受けた作家の作品は手元に置こうと決めた。幸い?亭主の人生に大きな影響を与えるような作家は皆寡作で、手元に置く分も少なかった。結果、社会人になってもマンガ本が増えることはなかったが、マンガとの付き合いは細々と続いた。毎週・毎月楽しみにしている作品があって、立ち読みなどでストーリーを追ったり、どこかで「この作品が面白い」などと聞きつけると、マンガ喫茶で読んだりもしていた。本もいくらかは買っていた。結婚するということになって、やはりアパートを引き払う際にさらに大々的にマンガを処分したのだが、このときは処分するほどのものはなく、10冊程度を売ったに過ぎない。ここ数年は、週刊誌・月刊誌で楽しみにしていた作品が次々と完結していて、いよいよ亭主とマンガとの関係は断ち切られてしまうのか―――とも思ったのだが、鋼の錬金術師が完結したのをきっかけに全巻購入してしまった上に、Hunter x Hunterも買い揃えてしまった。先日、Kindleペーパーホワイトを買った際には辛抱たまらずOne Pieceを全巻大人買いしている。ただ、亭主とマンガとの距離は以前よりもかなり遠い。今、楽しみにしている作品はOne Piece(尾田栄一郎)進撃の巨人(諫山創)ジョジョリオン(荒木飛呂彦)銀の匙(荒川弘)ヒストリエ(岩明均)Hunter x Hunter(冨樫義博)くらいで、ただし最後から2つの作品は現在はほぼ連載が停滞している。そのほかにも細かい作品をちょこちょこと買ってはいるが、一巻ないし二巻で読むのをやめている。最近の作品、面白いといえば面白いのだけれど、ずっと手元においておきたいという内容でもなく、話題作だから、話の種になるからとさっと目を通して終わりにしている。昔の亭主の熱の入れ様からすれば恐ろしいほど冷淡だ。亭主がこれまで生きて来たなかで、とくに大きく影響を受けた作家は紫堂恭子高野文子つげ義春あたりだろうか。紫堂恭子はファンタジー系の作品を多く発表する。亭主は代表作である「辺境警備」「グラン・ローヴァ物語」が特に好きで、「辺境警備」の主人公サウル・カダフ(通称隊長さん)、「グラン・ローヴァ物語」の主人公グラン・ローヴァ(大賢者)の飄々とした人柄に憧れる。前者は中年のおっさんとしての飄々さ、後者は歳を経ても少年のような飄々さ。彼らの生き方は周囲の人々に影響を与え、人々を成長へと導いてくれる。高野文子は女流漫画家の大家であり、寡作ながらも人々の心に確実に届く作品を発表する。「おともだち」「棒がいっぽん」「るきさん」あたりが代表作だろうか。作品には少女、女学生、そしてオトナの女性、昭和の古くから平成まで様々な女性が登場するが、その誰もが生き生きと、自身の人生を謳歌している。ストーリ構成も巧みであり、短いながらも一つの作品に明確な主題と、結末が用意されている。つげ義春は、亭主の青春時代(高校~大学卒業)における考え方や価値観、死生観にまで影響を与えている。「ねじ式」や「夜が掴む」「外のふくらみ」などは当時の精神状態をそのまま絵にしたような作品であったし、「無能の人」や一連の旅にちなんだ作品は当時自信を失い、存在を消してしまいたかった亭主にとってある種の疑似的な逃避体験だった。正直に言うが、今でも亭主は許されれば今の生活から消え去りたいし、どこか深山幽谷に篭って俗世との関わりを断ちたいと思っている。しかし現実には許されるはずもなく、せめての慰めにと氏の作品を読んでいる。面白いマンガ、魅力的な画や巧妙なストーリ、あるいは作品全体から醸し出す雰囲気が好みのマンガはたくさんある。注目している作家も少なくない。しかし、自身の生き方や考え方にまで影響を与えるようなマンガや作家はそう多くはない。社会人となって、また歳を重ねてマンガが格段に面白いと思えなくなってきても、自身に影響を与えた作家の作品だけは、いつまでも手元においておきたいと考えている。, 投稿情報: 23:45 カテゴリー: Books, Essay | 個別ページ | owner, 戸 川  純 ( と が わ  じ ゅ ん 、 1961年 3月 31日  – ) は 、 日 本 の 歌 手 ・ 女 優 で あ る 。 本 名 は 戸 川  順 子 ( と が わ  じ ゅ ん こ ) 。 歌 手 と し て は ゲ ル ニ カ 、 ヤ プ ー ズ な ど 、 ま た は ソ ロ の ヴ ォ ー カ リ ス ト と し て 活 動 し て い る 。, 関 東 学 院 大 学 文 学 部 英 米 文 学 科 中 退 。 女 優 の 戸 川 京 子 は 妹 。, 日 本 テ レ ビ の バ ラ エ テ ィ 『 巨 泉 × 前 武 ゲ バ ゲ バ 90分 !』 を み て 芸 能 界 を 志 望 。 妹 の 戸 川 京 子 と と も に 小 学 校 在 学 中 に 劇 団 ひ ま わ り に 入 る 。 当 初 は エ キ ス ト ラ 役 が 多 か っ た が 、 小 学 五 年 生 の と き 、 新 国 劇 『 王 将 』 に 子 役 と し て 舞 台 に 上 が り 、 辰 巳 柳 太 郎 の 娘 役 を 演 じ る 。 こ の 経 験 か ら 、 本 格 的 に 芝 居 を や り た い と の 気 持 ち を 抱 く 。 し か し 、 妹 の 京 子 に 比 べ 地 味 だ と 判 断 さ れ た こ と や 、 学 校 が 休 み が ち に な る の を 家 族 が 懸 念 し た こ と に よ り 、 劇 団 を 辞 め る 。 家 族 か ら は 大 学 生 に な っ た ら ま た 芝 居 を や っ て 良 い と 言 わ れ る 。, 高 校 時 代 で は 演 劇 部 に 所 属 。 部 で は シ ェ ー ク ス ピ ア の 作 品 等 を 扱 う 。, 1982年 に 『 刑 事 ヨ ロ シ ク 』 で 初 め て レ ギ ュ ラ ー で 警 察 署 の お 茶 汲 み 役 「 西 ツ ヤ 」 を 演 じ る 。, 戸 川 純 の 存 在 を 全 国 的 に 知 ら し め た の は CM出 演 で あ っ た 。 ヤ マ ハ エ レ ク ト ー ン の CM出 演 を 経 て 、 1982年 9月 に 衛 生 設 備 メ ー カ ー TOTOの 発 売 し た 画 期 的 な 新 製 品 ウ ォ シ ュ レ ッ ト の CMキ ャ ラ ク タ ー に 起 用 さ れ る 。 こ の CMは 「 お し り だ っ て 洗 っ て ほ し い 」 「 あ な た の お し り を 洗 い た い 」 の キ ャ ッ チ コ ピ ー と と も に 話 題 を 呼 び 注 目 を 集 め た 。 本 人 曰 く 「 子 供 の と き か ら 、 ず っ と 、 メ ジ ャ ー 志 向 」 で あ り 、 こ の CMで ポ ピ ュ ラ リ テ ィ を 得 た と 実 感 す る 。, 女 優 業 と 並 行 し て 音 楽 活 動 も 展 開 。 ボ ー カ リ ス ト と し て 、 1982年 6月 に 、 細 野 晴 臣 プ ロ デ ュ ー ス で 「 ゲ ル ニ カ 」 の 『 改 造 へ の 躍 動 』 で ア ル バ ム ・ デ ビ ュ ー 。 1983年 5月 に は バ ン ド 「 戸 川 純 と ヤ プ ー ズ 」 名 義 で ラ イ ブ ・ デ ビ ュ ー 。 ボ ー カ ル を 担 当 し 、 そ の サ イ ケ な 世 界 観 と 圧 倒 的 な ラ イ ブ パ フ ォ ー マ ン ス で 話 題 に な る 。 1984年 に ア ル バ ム 『 玉 姫 様 』 で ソ ロ ・ デ ビ ュ ー 。 独 特 な 感 性 を 活 か し 、 以 降 は 作 詞 も 行 う 。 そ の 後 も 、 長 き に 渡 り 様 々 な バ ン ド で ボ ー カ ル を 務 め る 。, 以 上 の 活 動 か ら メ デ ィ ア の 関 心 も 高 ま る 。 1984年 に は 『 森 田 一 義 ア ワ ー  笑 っ て い い と も !』 や 「 徹 子 の 部 屋 』 な ど の 人 気 番 組 に 相 次 い で 出 演 。 雑 誌 『 宝 島 』 で も 特 集 が 組 ま れ る な ど 人 気 を 博 す 。 こ の 年 以 降 も 上 記 2つ の 番 組 に 加 え 、 『 11PM』 『 さ ん ま の ま ん ま 』 『 加 ト ち ゃ ん ケ ン ち ゃ ん ご き げ ん テ レ ビ 』 『 パ ラ ダ イ ス GoGo! コメント (0), 品川と名古屋を約40分で結ぶという、ある意味「ワープ航法」な移動速度に加え、停車駅が各県1駅づつと最小限だったり、インターネットでしかチケットが買えなかったり、地下40メートルに駅を建設したり、路線の約86%がトンネルだったり―――と新幹線や在来線の延長ではなかなか思いつかない斬新なアイデアが盛り込まれていて、個人的にはかなり面白い試みだとおもっている。ビジネス向けを想定しているのは、在来線との接続のよさや都市の発展計画といった部分を一切切り捨てた結果なのだろう。相模原や甲府あたりは、それでも「都市」であるし、在来線とのアクセスもそれなりに確保されている。ところが長野県唯一の駅である飯田ともなると、在来線である飯田線の不便さ、他の地方都市とのアクセスの悪さが際立ち、交通網の体をなしていない。しいて交通網を挙げるとするならば、地元に根付いた車文化と、中央高速を挙げればよいか。住民たちは飯田線を利用せず、リニアの駅の周辺まで車を利用し、近隣に駐車し、東京や名古屋で用事を済ませたあとは、リニアの駅からさっさと車で帰宅する。これでは街の発展は望めそうにない。なにしろ何にもない街なのだ。, 飯田も、その昔はそれなりに県南部の中核都市として栄えていて、小さいながらも動物園があったり、映画館を含めた大きな商店街があったりもした。亭主は高校卒業まで伊那と飯田のちょうど真ん中あたりに住んでいたので飯田にもちょくちょく行っていたのだが、飯田駅を中心とした歴史ある町並みに「品格」を感じそれなりに憧れを感じていたものだ。今、飯田駅前がどうなっているのかはわからない。ただ、郊外への大型店舗の相次ぐ出店と、対照的にどんどん本数が削られていく飯田線のダイヤをみていると、リニアが地域振興のカンフル剤となる可能性は低いようにおもわれる。もちろん地方にはこれからどんどん発展して欲しいから、これから様々なアイデアが生まれることに期待しているのだけれど。, 父親と、飯田の映画館に「サイボーグ009超銀河伝説」を見に行ったり、「伝説巨神イデオン・接触篇」のLPを買ってもらったり、正月にウォッチマンというディスカウントショップに行き福袋を並んで買ったり、飯田のユニーで電子ブロックの追加パーツを買ったりと思い出は多い。, ただ、いまひとつパッとしないというか、自分でもネタとして展開するにはあまりにもマイナーネタばかりで、亭主自身これらをどう料理したものかわからない。, そういうマイナーさが飯田なのだというよりも、亭主自身がマイナーを好む人間だったとしたいいようがなく、町おこしよりも自分起こしが先だろという話もあるが、これはまた別の機会。, ともかくも、リニアが通ったら、東京・品川と飯田市の間の移動時間は30分足らずとなる。, それならば現行の中央高速バスを、飯田市を中心とした高速&路線バスに再編したほうが、もしかしたら飯田市の発展に貢献するかもしれない。飯田を観光都市とするよりも、品川や名古屋へのアクセスのためのサービスエリア的な都市、物流や製造業の拠点としての都市として発展するほうがメがあるのかもしれない。, 投稿情報: 00:41 カテゴリー: Essay | 個別ページ | コメント (0), 飲んだ後吐いたり、意識を失ったりすることも無く、極めて常識的な範囲でお酒を楽しんでいます。その昔は調子にのって大量に飲み、会費の元をとろうとたらふく食べていました。ただ最近はビールを中心に、おつまみをちょっと食べる程度。実は今日も飲み会で、瓶ビールにして一本分とお刺身を5枚ほど食べて帰ってきました。理想はお酒だけ、おつまみなしと行きたいところですが、やはり飲み会をセッティングしてくれた人、料理をしてくれた人の労をねぎらいたいと思い少しだけ口にするようにはしています。, 飲む量もですが、1回に飲むお酒の種類も減りました。基本はビール、あとはウィスキーまたはジントニック(ジンライムも可)。日本酒は悪酔い・二日酔いになるので、自宅で熱燗を楽しむ以外には飲みません。焼酎・サワー類は二日酔いにはならないものの、口当たりが良すぎてついつい飲みすぎてしまうので自粛しています。, お酒はほどほど、おつまみを食べず何をしているかといえば、やはり会話が楽しいのですね。, 亭主の参加する飲み会は、比較的にぎやかで、明るいものが多いので、人の話を聴きながらお酒を飲むのが実はとても楽しかったりします。亭主を含めて、酒癖の悪い人、というのも居ないように思います。以前に比べると飲めない人も増えているので、あまりハメをはずしすぎる人もいないのでしょう。, この日も飲み会は7時でおしまい、自宅に帰れば8時と、普段の残業くらいの時間に帰る事ができました。, 学生時代はそもそも「酒」とは何かをよく把握していなかったので、一人のみ、あるいは少人数飲みではかならず「サントリーレッド」を買っていた。, レッドを買っていた理由は至極単純、「安かったから」。当然味などというものはわかるはずも無く、(以前にも書いたが)子供の頃飲んでいた銘柄、というだけの理由で選んでいたのを思い出す。, 仲間内で飲むときは、かならず何らかの「話題」を元に飲んでいて、それこそ自分の悩みであるとか、スキな女の子の話であるとかを酔いに任せて語るのが通例だった。酒の力を借りて本音を言う。一種の癒しというか、浄化のようなものだったのかもしれない。, 当時はどちらかといえば自分を隠して生きてきたので、酒の力を借りてでも本音が言える場があることは、それなりに大事なことだった。もちろん本音といっても、人の悪口や泣き言ではなく、どちらかといえば「青年の主張」に近かった。お互いに「青年の主張」をぶつけあうことで、親友もできた。結果的に酒に対して悪い印象はほとんどないままこれまで過ごしてこられたものの、一方で非常に体力を消耗するため(当然)、日々の生活にお酒を取り込むという習慣は結局無いまま現在に至っている。, 投稿情報: 23:59 カテゴリー: Essay, Food and Drink | 個別ページ