「個人の自立心」や「自助努力」、それに対応する「個人の責任」といったキーワードが、奴隷制を覆い隠す「新しいヴェール」として使われはじめる。 「自立支援」, ゲーリー・スタンリー・ベッカー(1930-2014)『人的資本――教育を中心とした理論的・経験的分析』(1964) またもや「自己責任」である。「個人の権利の主張」は否定的に捉え直され、「自己責任原則に基づく自由競争社会」が強調される。労働者は、これからは国家が提供する社会福祉にも、企業の福利厚生にも頼ることなく、さらには労働組合のような連帯組織にも頼ることなく、「自立」して「自助努力」を行い、その結果に対して「自己責任」を負いながら、労働市場において他の労働者との苛酷なイス取りゲームに加わらなければならない。それが、経済同友会が「イメージ」として描く「市民社会」なのである。 マルーン(西インド諸島、中央アメリカ、南アメリカ、北アメリカの逃亡奴隷)共同体 奴隷制を「不正」だと意識すること、それは同時に、「自由な労働者」自身の意識を「取引の公正」という思想の内部に取り込むことでもあった。 「貨幣が尺度にすぎないなら、それはなにを測定するのか?答えは単純だ。負債である。一枚の硬貨とは実質的に借用証書(IOU)なのである。」 →奴隷を使うよりも自由人を使ったほうが結局は安くつく 彼が唱えたのは 三権分立 という考え方です。 今回は、ホッブズ、ロック、ルソー、モンテスキューの 思想の流れについて説明します。 この文章は行政書士試験の一般知識科目対策として、 できるだけ平易な言葉でわかりやすく、 かつ、印象に残りやすく流れをつかむ・・・ 「社会的立場から見れば、労働者階級は、直接的労働過程の外でも、生命のない労働用具と同じに資本の付属物である。労働者階級の個人的消費でさえも、ある限界のなかでは、ただ資本の再生産過程の一契機でしかない。しかし、この過程は、このような自己意識のある生産用具が逃げてしまわないようにするために、彼らの生産物を絶えず一方の極の彼らから反対極の資本へと遠ざける。個人的消費は、一方では彼ら自身の維持と再生産が行われるようにし、他方では、生活手段をなくしてしまうことによって、彼らが絶えずくり返し労働市場に現れるようにする。ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。賃金労働者の独立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって、維持されるのである。」 「もう一度繰り返しておこう。奴隷制がなければ、資本主義はなかった。近代資本主義世界システムが成立するためには、奴隷制プランテーションは不可欠だった。そして今もなお、「自由な労働者」というヴェールに覆われた「隠された奴隷制」がなければ、資本主義は成り立たない。それが、私たちがこれまで生きてきた世界、世界史的現在なのである。」, アメリカの人類学者 ジェームズ・C・スコット『統治されないという技術――東南アジア高地の無政府的な歴史』(邦題『ゾミア――脱国家の世界史』)(2009) モンテスキューの唱えた「三権分立論」は、教科書に必ず登場し、今も私たちの社会に受け継がれています。モンテスキューが主著『法の精神』を通して本当に伝えたかったこととは何だったのでしょうか。時代背景とモンテスキューの思想の柱である「政体区分論」、「三権分立論」から解説します。, モンテスキューは、本名を『シャルル=ルイ・ド・スゴンダ』と言い、ラ・ブレードおよびモンテスキューという土地を領地とする男爵でした。, ボルドー高等法院で参事官や副院長を務めましたが、37歳の若さで引退してからは学問に身を捧げました。余談ですが、イギリス滞在時にはフリーメーソンに加入したことでも知られています。, モンテスキューが生まれた1689年はイギリスで名誉革命が起こり、青年期の1715年にはルイ14世が亡くなるという激動の時代で、この経験がモンテスキューの思想にも大きな影響を与えたと言われます。, モンテスキューは、主著『法の精神』において、法は「事物の本性に由来する必然的諸関係」であり、国土の自然条件や民族の生活様式といった様々な条件に適合していなければならないと説きます。, そこで提示された『政体区分論』において提示された3つの政体「共和政」「君主政」「専制政」とはそれぞれどのようなものなのか、ここで解説します。, 三つの政体それぞれは、その仕組みの本質である「本性」と、その仕組みの基礎となる精神である「原理」から説明されています。, 共和政の「本性」は人民ないしその一部であり、それら人民が支配権を持つことです。共和政はさらに、人民全体が主権を持つ場合が「民主政」、人民の一部が主権を持つ場合は「貴族政」と区別されます。, そして、共和制の「原理」は、自らの利益よりも公共の利益を重んじる公共心や祖国愛とされています。, そこでは、貴族がその支配を抑制する立場に位置づけられ、高等法院などを機能させて法の支配を徹底させます。そして、君主政の「原理」は、野心に基づく名誉であり、それが自動的に社会の秩序を生み出しているとされます。, 君主政同様に一人の君主が権力を独占するのが、専制政の「本性」ですが、この場合は法による制限がありません。そして、その「原理」は恐怖であり、君主は家来を威嚇して国を治めます。, ここ日本でも、国会、内閣、裁判所に権力が分散され、実践されている「三権分立」。これを最初に唱えたのはモンテスキューでした。ここでは、『法の精神』に記された「三権分立」と、それに基づくモンテスキューの主張をご紹介します。, モンテスキューが『法の精神』で目指したのは専制政を抑止することでしたが、とはいえ人民への権利委譲を無条件で推奨したわけではありません。, モンテスキューは、民主政の社会においても、自由は無制限の権利であるだけでなく、法による制限の下で可能となると考えました。また、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが説いた「中庸」の精神(※)が立法にあたっても重要であり、政治における善についても極端なものにならないように注意を払いました。, (※中庸:アリストテレスが提唱した概念の一つ。「善なること」の実践には、何事にも両極端にならず、ちょうど中間のバランスの取れた状態こそが理想とした), モンテスキューは、以上のような前提のもとで、名誉革命以後のイギリスで見た、君主の執行権と上院下院からなる議会の立法権、そして両者の均衡、そして司法権の担い手としての陪審制について論じています。, 小難しく書きましたが、要は「君主(=行政)」「議会(=立法)」「陪審制(=司法)」の3つの関係を検討した、ということです。, この書の結論としてモンテスキューは、行政・立法・司法の三者の均衡と抑制が成り立つ「三権分立」のもと、憲法によって君主の権力が規制を受けている状態、すなわち『立憲君主制』が理想の政治体制であると主張しました。, こうしてみると、モンテスキューの思想は、単に「三権分立と、立憲君主制が重要だ」というだけのものではないのかもしれません。, モンテスキューは、激動の時代にあって、彼なりに政体が安定するためのあるべき姿を模索しました。その中で、自由が重要であることは認めつつ、それは無制限なものではなく、互いが互いを抑制しあって初めて成立するものだと説いているのです。, 既存の秩序が解体しつつある中で、そうしたいわば「自由な国家の実現の前提となる、理念と方法論」が必要であるということこそ、モンテスキューが本当に伝えたかったことだといえるでしょう。, そしてその中で彼が見出した「三権分立」は、現代の政治体制にも通じる優れたバランス・オブ・パワーのモデルとなっています。, モンテスキューには、東洋人の目から見た当時のフランスの社会や政治を風刺を込めて描写した『ペルシア人の手紙』や、歴史の因果法則を考察した『ローマ人盛衰原因論』、さらには科学的考察や文学作品まで、様々な著作があります。一部は翻訳もありますので、教科書にはのっていないモンテスキューにも触れてみてはいかがでしょうか。, 歳の若さで引退してからは学問に身を捧げました。余談ですが、イギリス滞在時にはフリーメーソンに加入したことでも知られています。, 世が亡くなるという激動の時代で、この経験がモンテスキューの思想にも大きな影響を与えたと言われます。. 「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です。家族のみんなごめんなさい。」 会員登録をクリックまたはタップすると、利用規約及びプライバシーポリシーに同意したものとみなします。ご利用のメールサービスで @try-it.jp からのメールの受信を許可して下さい。詳しくはこちらをご覧ください。, 近代の世界1のポイント1は、「近代ヨーロッパの啓蒙思想」です。 5分でわかるウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(プロ倫)」要約. 「人間はこれまでずっと人間の所有物だった。政府が変わるだけでは、もしそれが現在の社会システムに接ぎ木されるのならば、人間が別のものになることを許さないだろう。われわれはずっと前に奴隷制という名前とお仕着せを投げ捨てたにもかかわらず、労働階級はなおも古い時代の彼らの祖先に劣らず所有されている。他人が怠けている間に彼らは苦労する――彼らが生産して他人が消費する――一つの階級が命令して他の階級は従う――したがって生産者は依然として言葉の本当の意味において奴隷なのである。」, まずは「直接的奴隷制」の廃止 次に「間接的奴隷制」の番 自分自身が「奴隷」であることに気づいていない「奴隷」。主観的には自分は「最大の自由」と「個人の完全な独立性」を享受していると思っている「奴隷」。それが、ここ(『聖家族――批判的批判の批判』)でマルクスの言う「市民社会の奴隷制」である。 「たとえ労働の実態は奴隷と変わりないとしても、その労働が一定の時間内のもので、しかも、労働者自身が自分の意志でそれを「承諾」したのであれば、その労働者は「自由」だ、ということになる。労働時間が「無制限」でさえなければいいのである。」 日本が江戸時代のころのヨーロッパの様子をみていきます。, 近代のヨーロッパでは、 合理的・科学的な態度で、これまでの制度や考え方を批判する思想 が生まれました。 サッチャー・レーガン・中曽根 「現在の資本主義システムは、すくなくとも5つの症状――低迷する経済成長、オリガーキー[少数者独裁制]、公共領域の窮乏化[社会福祉予算の削減と民営化]、腐敗[巨大企業の違法・脱泡行為]、そして国際的な無秩序化――に苦しめられており、それらの症状を治療する手立ては見つからない。資本主義の最近までの歴史をふりかえれば、これから資本主義は長期にわたって苦しみながら朽ちていく、ということが予測される。今後、ますます衝突と不安定化、不確実化が広がり、「正常なアクシデント」(スリーマイル事故の用語)が着実に繰り返されていくだろう。そこからかならずしも1930年代に匹敵する大崩壊が起こるとはかぎらないが、そうなる可能性はきわめて高いだろう。」 言い換えると 「権力者は生まれつき権力を持っているわけではない」 ということになります。 1995年 日本経営者団体連盟(日経連)『新時代の「日本的経営」――挑戦すべき方向とその具体策』 「すべての時代、すべての国民の経験は、奴隷による仕事が、一見彼らの生活資料しかかからないようでも、結局はもっとも高くつくことを示していると私は思う。財産を取得できない人は、できるだけ多く食い、できるだけ少なく労働すること以外に、利害関心をもちえない。奴隷自身の生活資料を購買するのに足りるだけの量以上の仕事は、暴力によって彼からしぼりとることしかできないのであって、彼自身の利害関心によってではない。」 「企業の自由な経済活動」の確保。「保護された個人」からは保護を剥ぎ取り、規制によって「自由な経済活動」を阻害されてきた企業に対しては規制を緩和し、あるいは撤廃すること。 第1段階「分業」2「機械」4「独占」8「所有」10「人口」 「自身に主人と奴隷の役割を同時に割り当てる」「所有者であると同時に所有される事物でもある」 啓蒙思想の考え方を、代表的な3人の啓蒙思想家を通じて学習していきましょう。 次の図を見てください。, 現在の日本の政治における、三権分立の仕組みを示しています。 ・スコットランドとアイルランドの農民の暮らしと比較すればはるかに幸せ 「市民社会では、他人の自由を犠牲にすることなしには自由を保つことができず、市民が完全に自由でありうるためには、奴隷は極端に奴隷的でなければならぬ、というような不幸な状況がある。それがスパルタの状況であった。諸君のような近代人は奴隷を全くもたないけれども、諸君自身が奴隷なのだ。諸君は、諸君の自由を売って、奴隷の自由を買っているのだ。」, ヴォルテール(フランソワ=マリー・アルエ)(1694-1778)『カンディードあるいは最善説』(1759) ジョン・ロック(1632-1704) カロライナ植民地 憲法草案 自由人ー農奴ー黒人奴隷 ジョン・ロック 奴隷貿易にも出資 「植民による生産力の上昇とイギリスの国富の増大という偉大なる目的の前には、異民族の犠牲者の存在はロックを思想的に悩ませる種にはならなかった」 『百科全書』「奴隷制」の項目に対する批判 ジョン・ロック 奴隷貿易にも出資 こちらを見てください。, 1人目の人物が、イギリスの哲学者 ロック です。 ・アメリカの白人はみなジェントルマンで誠実 デンマークの探検家であり人類学者でもあるピーター・フロイヘンがグリーンランドの狩猟民族イヌイットの社会で経験したエピソードを紹介している。 「基盤的コミュニズム」=もうひとつのスキャンダル, 1980年代に始まった新自由主義的反革命は、反革命に成功したがゆえに、この「資本主義的生産様式の矛盾」(労働者の搾取に依存しているため、常に「過剰生産」に陥る)を激化させることになった。 自分自身の労働力=「人的資本」 この文章でスミスが指摘しているのは、奴隷の「消耗に関わる経費負担」、つまり奴隷労働の維持管理に要するコストは、ある程度の自己管理ができる「自由な」労働者のそれよりも「高くつく」ということである。その結果として、「自由人によってなされる仕事のほうが、奴隷によってなされる仕事よりも結局は安くつく」ことになる、とスミスは主張する。 「雇用柔軟型グループ」=派遣労働 「ある日、セイウチ猟がうまくいかず腹を空かせて帰ってきたとき、猟に成功した狩人の一人が数百ポンドの肉をもって来てくれたことについて、フロイヘンは語っている。彼はいくども礼を述べたのだが、その男は憤然として抗議した。/その狩人はいった。「この国では、われわれは人間である」。「そして人間だから、われわれは助け合うのだ。それに対して礼をいわれるのは好まない。今日わたしがうるものを、明日はあなたがうるかもしれない。この地でわれわれがよくいうのは、贈与は奴隷をつくり、鞭が犬をつくる、ということだ」。」 未開民族の文明段階=「最も幸福で最も永続的な時期」 エリック・ウィリアムズ(歴史学者、トリニダード・トバゴ初代大統領)『資本主義と奴隷制』 キーワードは「官民パートナーシップ」「ガヴァナンス」 © Delight Creation Inc. All Rights Reserved. 「フランスの砂糖植民地では、フランス人たちは植民地をできるかぎり急速に興隆させるために、黒人奴隷に課す苦痛をまったく考慮しないのである。」, アダム・スミス(1723-1790) グラスゴウ大学 道徳哲学の教授 ロックが言いたかったのは、「権力者が好き勝手なことばかりやってはいけないよ」ということなんです。, 抵抗権とは 「人民(民衆)は、支配する権力者の横暴に対して抵抗する権利がある」 という考え方です。 第一歩が長時間労働の拒否(1日8時間), イギリス綿工業の「女性・児童奴隷制」 工藤律子 カタルーニャ Copyright Trygroup Inc. All Rights Reserved. 「要するに、奴隷制廃止論が結果として生み出したのは、労働者が「わずかな賃金」と引き替えに承諾した「産業奴隷」状態を「自由な労働」という名目で正当化する、資本家側のイデオロギーだった、ということである。」 モンテスキューの思想はフランス革命に影響を与えたことで知られています。ここではモンテスキューの主著『法の精神』と他の著書について解説し、モンテスキューの概要と名言も紹介します。 「モンテスキュー」とは? モンテスキューの本名はシャルル=ルイ・ド・スゴンダ かつてはOJT(ジョブトレーニング)今では労働時間外に「自己啓発」で「知識・スキル」を習得する, この「強制された自発性」が引き起こす最悪の問題が「過労死」である。 自己意識をもつと戦いになる 勝ったもの→「主人」 負けたもの→「奴隷」になる ・西インド諸島の奴隷制より全然マシ このような「平等主義的な狩猟社会」は、幸いなことにまだそのいくつかが地球上に存在していて、それが人類学者の考察対象となっている。しかし、それ以外の圧倒的に多数の社会は、贈与に対してお礼を言い合い、お互いに負い目を感じ、負債を負い、そして負債を返す人間たちの社会となった。つまり、奴隷をつくる社会である。そしてそれが、いわゆる「文明社会」なのである。 「資本は頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくるのである。」 マルクス「労働日の短縮こそがその(自由の国)土台である」 ヴォルフガング・シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』(2016) ・黒人はみな嘘をつく ★「学校は、成績評価や職業的なヒエラルキーへの配分に用いられる一見能力主義的とみえる方法によって、合法的な不平等を助長することになる。社会階級や人種、性にもとづく差別のパターンを学生に強く植えつけることにより、卒業後生産プロセスのなかでの権威と地位のヒエラルキーのどこに位置づけられるのが「ふさわしい」かを教えこむ。学校で経済分野の支配と従属の関係に適った人格的発達の類型を育成し、結局、経営者が労働者支配の最上の武器――雇い入れ、解雇することのできる権力――を効果的に発揮できるのに十分なだけの熟練労働者の余剰を生みだす。」 アメリカの「黒人奴隷」(西アフリカ) 「このような労働者と資本家の他に、この「文明社会」にはもう一つの階級が存在する。スミスによれば、「賃金と利潤と地代とは、すべての交換価値の本来の源泉であるとともに、すべての収入の3つの基本的な源泉でもある。」賃金を受け取る労働者、利潤を受け取る資本家と並んで、地代を受け取る地主(貴族やジェントルマン、都市部の家主など)がいるのである。」 この考え方を、 啓蒙(けいもう)思想 と呼びます。, 具体的にはどのような考え方が登場したのでしょうか? スリナムの黒人奴隷 左足と右手がない 青色の半ズボン 「国は人々の契約の上にある」とする考えを社会契約説という。社会契約説において国家ができる前の状態を自然状態といい、国家のない自然状態でも人々が最初から持っている権利を自然権という。, センター試験ではホッブズ、ロック、ルソーが出題される。三人が前提とした自然状態と自然権を覚え、それをもとにどんな国家を理想としたかを理解しよう。また現代社会が誰の思想を強く受け継いでいるかもチェック。, 社会契約説をよりわかりやすく解説した記事:ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約説(自然状態と自然権など)をざっくりわかりやすく解説, ホッブズにとって自然状態は戦争状態であり、「万人の万人に対する闘争」と表現される。また人の最上の欲求は自己保存であり、自然権は生存権であるとする。国家のない自然状態では、人々は生存権という自然権を持っているために、生きるためならなにをやっても許されると考えるあまり戦争が起きる。, そのため人々は契約し、自然権を放棄して、全員が服従しなければいけない絶対王政的な国家を作り、戦争状態を回避するべきだとした。, ロックにとって自然状態は基本的に平和である。また生命、自由、財産などを所有する広い意味での所有権を自然権とした。国家のない社会では、強盗に財産を奪われるといった問題が起きて自然権が侵害されてしまう。, そのため人々は契約によって国家を作り、自然権を国家に「信託」する。この「信託」という言葉はとても難しい言葉なので、まずは「託する」とざっくり考えよう。また国家がこの「信託」に反して人々の自然権を侵害した場合、人々は国家に抵抗できるとした。この抵抗する権利を抵抗権という。, ロックは国家権力の分立を主張した。これがモンテスキューの三権分立論につながる。しかし二人の権力の分け方は大きく異なる。, モンテスキューと違ってロックは司法権を扱っておらず、立法権を行政権の上に置いた。ロックのこの思想を統治二論という。, ロックがホッブズとルソーと決定的に異なる点は抵抗権にある。ホッブズとルソーが抵抗権を原則認めないのに対し、ロックは抵抗権を当然の権利としている。, 自然権という概念が歴史上初めて明文化された文書は1776年に制定されたバージニア権利章典である。これはアメリカ独立革命で生まれ、同1776年のアメリカ独立宣言に影響を与えた。アメリカ独立宣言はロックの思想の流れをくみ、抵抗権を認めている。, ルソーにとって自然状態は自由で平等な社会だった。しかし社会の文明が発展し、私有財産制が導入されたことで社会は不平等になった。, 人々は自由と平等を再び手に入れるため、自然権を放棄し、公共の利益を求める一般意志に服従する。またルソーは議会を認めず、直接民主制を説いた。, 下線部bに関して、ロックの社会思想の説明として最も適当なものを、次の1~4のうちから一つ選べ。, 2も間違い。ロックは「創造的知性」という概念から社会契約を唱えたといえない。創造的知性はアメリカのプラグマティズムに共通するポイント。「道具」という言葉から出てくる思想家は道具主義のデューイ。道具主義にとって知性は経済や社会を発展させる道具でないといけない。, ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約説(自然状態と自然権など)をざっくりわかりやすく解説, 各人は、公共の利益を目指す一般意志に服従して、すべての権利を国家に譲渡するが、国家がこの一般意志を実現することで、各人の権利は保障されることになる。, 知識や理論は、人間が環境によりよく適応していくための道具であり、我々は、創造的知性を用いることによって社会を改善し、理想的な民主社会を実現することができる。, 各人が利己心に従って自分の利益を自由に追求すれば、おのずから社会全体の利益は増大するが、これは、「(神の)見えざる手」の導きによるものであると考えられる。, 国家による権力の濫用を防ぎ、権力がその役割を公正に果たすためには、立法権や行政権(執行権)などが一定の独立性をもって互いを制約する、権力の分立が必要である。. モンテスキューは、フランスの思想家で三権分立を説く。 ルソーも同じくフランスの思想家で、社会契約論をあらわして人民主権を説く。 ロックはイギリスの思想家で、社会契約説と抵抗権を説いた。 簡単にかきましたが、こんな感じです! 「1820年代のハイチでは、人口約80万人に対して、常備軍は約3万2000人、臨時徴募の国防軍が4万人にも達したが、軍隊は、ハイチの男性が土地を手に入れたり政治に参画する主要なルートにもなった」という。そのような軍事的独裁体制の下で、農民は農業生産の増進という名目で「奴隷制の再導入にも等しい」形で土地に縛りつけられた。」 政治を行う行政権は 内閣 、法律を作る立法権は 国会 、裁判を行う司法権は 裁判所 奴隷でなくなること 「すべての労働者は、人的資本論者の大好きな見方によれば、今では資本家なのだ。」 「「啓蒙の世紀」と言われるヨーロッパの18世紀は、同時にヨーロッパ人が経営する黒人奴隷制プランテーションの最盛期でもあった。そして、「自由」の権利を主張する一方で植民地の奴隷制を「世界の所与の一部として受け入れていたという偽善的思想家の代表としてバック=モースが挙げるのが、フランスの啓蒙思想家モンテスキュー(1689-1755)である。」 「今後の雇用形態は、長期継続雇用という考え方に立って企業としても働いてほしい、従業員も働きたいという長期蓄積能力活用型グループ、必ずしも長期雇用を前提としない高度専門能力活用型グループ、働く意識が多様化している雇用柔軟型グループに動いていくものと思われる。つまり企業と働く人のニーズがマッチしたところで雇用関係が成立する。」 一言で言い換えれば、「自由」は自ら勝ち取るものだ、ということ。 「労働者たちは、これまで資本家に半年の労働の価値と引き替えに丸1年の労働を与えてきたのであって、それだからこそ、今われわれの周囲に存在するような富と力の不平等が発生したのである。どこまでも資本家は資本家、労働者は労働者であり、一方は圧制者の階級、他方は奴隷の階級であるということは、交換の不平等の――ある価格での買いと別の価格での売りとの――不可避的な結果なのである。」 「そこで雇用されるのは、あくまでも「勤勉な人びと」だと名指しされている。つまり、「質素と倹約」に努めて自分自身の「消耗の修復」を自己管理し、自分の労働によって「財産を取得できる」という希望をもって一生懸命に働こうとする労働者である。」 ハイチ革命 5万人の奴隷が合流 2ヶ月で 殺された白人1000人以上 放火された砂糖プランテーション161 コーヒープランテーション1200 「北米のアパラチア山脈の国際越境版」 大西洋三角貿易=イングランドにおける資本蓄積の本流になった モンテスキューの日本天皇制論 全ての日本人が天皇の奴隷, ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)『人間不平等起源論』(『法の精神』の7年後) 逆に奴隷に「依存=従属」するしかない主人が奴隷になる (砂糖)プランテーション=工場の初期形態 | 「この救援は、たんに新世界の自然の恵みにその基盤があっただけではなく、奴隷貿易やその他のヨーロッパの植民地システムの諸特徴が、新しいある種のの周辺を創り出したという事実に基づいているのである。こうした周辺の創出によって、ヨーロッパには、恒常的に増加しつづける大量の労働集約的な生産物と、これも恒常的に増加しつづける大量の輸出工業品との交換が可能になった。/工業化初期の前後から、この補完性の核心部分は、奴隷制によってもたらされた。奴隷は、親世界のプランテーションによって海外から購買されたが、自らの生存に必要なものは、しばしばほんのわずかしか生産しなかった。したがって、奴隷制の地域は、たとえば東ヨーロッパや東南アジアよりも、はるかに多くのものを輸入した。」 マルクス、労働者を資本主義社会の「常識」から解き放つ挑発的な言葉 → 「賃金制度の廃止」, 文化人類学が指摘するように、ものごとの実際の歴史的「起源」を隠蔽して別の「物語」を提示するのが「神話」