2019/11/26-12/1 荻窪 ひつじ座 【再放送】2019年5月8日(水)午前5時30分~5時55分/2019年5月8日(水)午後0時00分~0時25分, ■平氏のルーツは桓武天皇 七五のリズムに音韻がリフレインし、さらにその言葉からが美しい。圧巻である。全四回の二回が放送されたが、あとの二回も楽しみである。, 実は日本史はまったく無知だ。それでもぼんやりと日本の歴史でどうしても引っかかることがいくつかあり、源氏による平家討伐がずっと気になっている。 6インターネットを使った新しい表現と交流を展開」 平家の最初は桓武天皇の子供からはじまった。 05/16/2019, Eテレの「100分de名著」で「平家物語」をやっている。いい。何がいいかって、コメンターがあの安田登なのだ。能楽師ながら、実にわかりやすく読みごたえのある本たくさん書いている。私も「ワキから見る能世界」と「能 650年続いた仕掛けとは」を読み、めっぽう面白かった。能を外から見る目と演じる側からの目がいずれもシャープで、ははーっと感心したりそうなのかと驚いたり目から鱗満載だった。番組では、まずはじめに平家物語は史上の人物を「キャラ化」しているのがその面白さの第一の所以だという。つまり著者がそれぞれの登場人物の性格を際立つように肉付けし作り上げているのだ。そうなると、これはまさに史実の登場人物による創作小説ということになる。なるほど「平家物語」であって、「平家記録」ではない。それに、これは「読む」ものではなく、琵琶演奏をBGMに「語る」ものであり、一人朗読劇の台本である。そしてここからが安田登の真骨頂、番組で平家物語を朗々と唱ずるのである。 (Sato Pacino Company,脚本演出.山田諭), ◆「永遠ノ矢 トワノアイ」 2019/8/21-22 新宿シアタープラッツ 4新しい小説方法の実験の場 (出演.杉本凌士、坪内守), ◆「航路」 2現代詩賞・エッセイ賞による作品の公募と賞揚 作家の創造エネルギーを十全に発揮できる場を作ることによって、文芸活動の新しい結合を展開していきます。 編 集 文芸エム編集部 この雑誌の他の号を見る. 【朗読】 安田登 【琵琶演奏】 塩高和之 【語り】 小口貴子. なぜ平家は短期間に歴史の表舞台へと躍り出ることができたのか。貴族階級を中心に |小 説| 此岸(1)(原浩一郎) 5月6日(月)午後10:25https://t.co/nNldPPwtTi, 2019年5月6日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ (「文芸思潮」誌より), ▲ 2018/11/16 2018年度滋賀県文芸出版賞授賞式 発売日 2020年04月25日 発行:月刊 この商品を購入する. たとえば近畿以西の辺鄙なところに旅すると、かつて落ちのびた平家が隠れて集落を作ったのだという謂れをたびたび目にする。それは四国から九州、こんなところにまでと驚かされる。さらに私は鹿児島出身で両親の本籍は種子島だが(家系図などない雑種なので先祖に特段関心はないが)、名字からたどると祖先はどうやら平家落人らしいと眉唾ものの話しを父親から聞いたことがある。先祖はともかく、遥か鹿児島あたりにまで逃げのびて来た者もあったということなのかと驚いた。凄まじい。逃げたということは、つまりそこまで執拗に追われたということだ。平家一族に関わる血を最後の一人に至るまで根絶やしにするのだという強烈な執念に源氏が取り憑かれていたということだろう。時代としては江戸時代から戦国室町時代、さらに鎌倉時代をも超えてさかのぼった遥かな中世である。当時の「武士」「戦」の有り様からが、例えば「時代劇」で知っているそれらとは根底的に異なっていそうである。 今日(2019.05.13)は「100分de名著」、『平家物語』の第二回目の放送があります。前にも書きましたが、僕は自分が出ている番組は恥ずかしくて見ることができないので、今日も見られないだろうなぁ…。, たとえば冒頭の「祇園精舎の鐘の声」の部分。今回、放送で使われたのは、能の謡(うたい)の節がついている「謡」バージョンでした。, そのほかに、やはり能の謡なのですが、節がついていない「詞(コトバ)」バージョンも録音しました。その時のデータは手元にないのでiPhoneで録ったのを貼り付けます(以下、音が出るので注意)。, もうひとつは「メリハリ読み」バージョン。これは能の詞の手法を使い、しかし発声は能のものを使わず読んでものです(といってもかなり能っぽいですが:笑)。これもデータがないのでiPhoneで録って貼り付けます。, 「メリハリ読み」というのは、日本語の朗読方法のひとつです…というと、それっぽいですが、僕が勝手に言っていることなので、あまり信じないように(笑)。, 日本語の文(文章)は、前半にメリ(弱い部分)があり、後半にハリ(強い部分)があるものが多いように感じます。, 全国の小学校で能の授業をしています(講演ではなく、ひとクラスずつの授業です)。それこそ、南は奄美大島(このごろ行ってないなぁ。呼んで下さ~い)から、北は北海道までお邪魔します。すると不思議なことに気づきます。, これは『桃太郎』以外にはありません。『浦島太郎』も違うし、『一寸法師』も違う。でも、『桃太郎』だけは共通です。こんな具合に。, さらに、低学年になると、これに節が付きます。その節を「強弱」で示しますね(濃い字が強い)。, そう。「お爺さん」は弱いのに、「お婆さん」及び「お婆さん」パート(洗濯)は強く読まれるのです。, 確かに考えてみると、この物語においてお爺さんの役はないに等しい。大事なのはお婆さんであり、だからこそお婆さんは「あとに」読まれるのです。, たとえば恋人と「明日、海に行こう!」なんて話をしていて、でも、明日、雨だったらどうしようなんて思うわけ。で、これを恋人に伝えるときに英語だったら…, 「If it rains …」とか「When it rains …」などのように、最初に「If」とか「When」とかを付けて、「これはメインに言いたいことではありませんよ(従属節ですよ)」ということを最初に明確にしなければならない。, そして、ここまで言ったところで恋人の顔が曇ったりしたら、「明日、雨…なんか降るわけないよね」と途中でぐわっと方向転換をすることができる。, すなわち、後半をいじることで文全体の意味すら変えてしまうことができる。それが日本語であり、だからこそ大事なことは後半に置くことが多いのです。, これは一文(一句)の中でも同じで、大事なことは後半に置かれることが多い。そこで、能の語りでは一句の中では後半が強く読まれることがほとんどなのです。, たとえば「これは諸国一見の僧にて候(そうろう)=私は諸国を漂泊する僧侶です」という句があります。これは…, 能の謡(正確には「詞」)では、まず一句をこのように上の句と下の句に分けます。そして、下の句の二字目、これでいうと「僧」の「う」の字を強く謡うのです(当てるといいます)。こんな風にです。, このように前半を弱く、後半を強く読む読み方で朗読をすると、なんでもそれっぽく聞こえます。たとえば高校の教科書によく載る『山月記(中島敦)』がありますが、これも「メリハリ読み」で読んでみますね。強く読むところは「濃い字」で書いておきます(時々わかりにくいところもあります)。, 隴西(ろうせい)の李徴は 博学(はくがく)才穎、 |臨 床| オープンダイアローグから反想法へ(1)(阿迦井光子) 天宝の末年、若くして名を 虎榜(こぼう)に連ね、 Official髭男dism(ヒゲダン)の無観客オンラインライブ「Officia ... アカデミー賞4冠を達成し、世界中で熱狂を巻き起こし続けている映画「ボヘミアン・ラ ... 世界で販売部数1000万部を超えるベストセラー「サピエンス全史」 NHK BS1 ... 世界中で1000万部以上を売り上げている大ベストセラー「サピエンス全史」、その続 ... 2020年5月3日のBS1スペシャルは シリーズコロナ危機「中小企業の突然死を防 ... Copyright©