『イヤーカフ』は、ピアスやイヤリングよりもいいことだらけとも定評があります。 歴史が大きく塗り替えられる発見があるなんて! ポンペイ最後の日は10月17日より後だった? 2019年6月29日に放送の「世界ふしぎ発見!」で、歴史が書き換えられる新事実の発見が放送されます。 番組情報によると、ヴェスビオ山の噴火が「西暦79年10月17日よりも後」だったことが判明したようです。 現在のイタリアのナポリ近郊に存在した古代都市「ポンペイ」は、79年にヴェスヴィオ火山の噴火に襲われ、最後の日を迎えました。歴史的に貴重なこの古代都市について詳しく見ていきましょう。, イタリアのナポリ湾の近くにあるヴェスヴィオ火山は、過去に何度も噴火を繰り返し、周辺に住んでいた人々へ大きな被害をもたらしています。, そして、このヴェスヴィオ火山の噴火の中でも歴史的に最も有名なものが、西暦79年に起こった噴火。, この噴火によって、同地域に存在した古代都市「ポンペイ」は火山灰や火砕流に飲み込まれて最後の日を迎え、地中深くに埋もれてしまうこととなったのです。, 79年当時、ポンペイはどのような被害に見舞われながら最後の日を迎えたのでしょうか?, ポンペイとは、現在のイタリアのナポリ近郊(イタリア中南部カンパーニア地方のナポリ湾東岸、ベズビオ火山南麓)にあった古代都市。, 紀元後(西暦)79年にヴェスヴィオ山が噴火したことで火山灰と火砕流に飲み込まれ、この都市は地中に埋まって消滅してしまいました。, そしてポンペイは現在、古代都市の生活を伝える貴重な歴史的遺跡として、また、歴史・文化的な観光地として有名です。, 紀元前8世紀頃に、オスキ人とヒーコ人という二つのグループによって集落が形成されたのが、ポンペイの始まり。, といった流れで、一時は商業や観光都市として栄えたポンペイは、最後の日を迎えて消滅してしまったのです。, 紀元前8世紀にこの地へ人が集まって集落が作られて以降、少しずつ大きな街へと変化していくことで、ポンペイも含めたヴェスヴィオ山とナポリ湾周辺は、日光浴や景色を楽しみたい富裕層向けの観光地や保養所のような場所として人気になっていきました。, そして、紀元後1世紀になる頃には、ヴェスヴィオ山から8km程のところにあるポンペイの街は、ローマの富裕層にとって素晴らしいリゾート地となっていたようです(ローマ帝国に支配されて以降、ポンペイは急速に繁栄していったようで、建物は木造からレンガや石造りへと変わり、闘技場、2つの劇場、寺院、水道管まで整備された)。, また、市民達は20,000人を収容する競技場に集まったり、屋外では広場や市場でゆったりと過ごすなど、豊かな生活を享受していたようです。, ちなみに、西暦79年に起こった運命的なヴェスヴィオ山の噴火の前夜、およそ20,000人の人々がポンペイとその周辺に住んでいたそうで、火山の火砕流によって逃げ遅れた2000人ほどの人々が命を落としたと推定されています。, ポンペイを火砕流によって飲み込んだヴェスヴィオ山は、何万年を掛けて形成されていった活火山で、その標高は1281m。, 現在は噴火していないものの、近代におけるまで度々噴火を繰り返しており、最も最近の噴火は1944年3月22日に起こっています。, そのため、実は79年の噴火以前にもヴェスヴィオ火山は幾度か噴火を起こしており、1780年頃に起きた非常に激しい噴火や、79年の噴火に一番近いものであれば紀元前217年に起こした大噴火があります。, しかし、この地域はとても気持ちがよく日当たりの良い場所なためか、数十年もすれば恐ろしい噴火のことを人々は忘れていってしまうのでしょう。, 79年の噴火に関しては、それ以前のおよそ300年もの間、ヴェスヴィオ火山は静かであったため、なおさら人々は近くにそびえ立つ火山の脅威を忘れてしまっていたのです。, 実は62年に2月5日、同地を巨大地震が襲い、大きな被害をもたらしたのですが、客観的に見れば大噴火の予兆とも取れなくないこの大地震を、再び大きな噴火による災害の警告だと考える人は当時のポンペイにはいませんでした。, それどころか、さらに多くの人がナポリ湾の海岸に集まってきたことで、ポンペイは年々賑やかになっていったのです。, 噴火による爆風で火山灰、軽石、そして岩石の柱と非常に熱い火山ガスが空高く上がり、その光景は遠くは離れた場所からでさえ見えたと言われています。, 例えば、ナポリ湾の反対側から噴火を見た当時の文人「ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)」は、このヴェスヴィオ火山の噴火を、, と表現し、「幹のようなものの上に大きく伸びて、枝のように分かれていった」と松の木に例えています(小プリニウスが表現した噴火形式は今日では「プリニー式噴火」と呼ばれている)。, そして一昼夜、火山灰や軽石、そして岩石などが降り注ぎ、地域一帯では、人々が呼吸するのが困難になっていき、一部の建物は崩れ落ちました。, そんな状況がずっと続いた後(噴火してからおよそ12時間後)、ついにポンペイの街を飲み込む火砕流が発生。, この時に発生した火砕流は、正確には「火災サージ」と呼ばれ、火砕流に似ているけど火山ガスの比率が高くて密度が小さいため、高速で薙ぎ払うように流れ、その速度は時速100kmを超えるほどでした。, そのため、この火災サージが山の斜面を一気に下るようにしてポンペイを襲い、そこに住んでいた人々や家屋もろとも全て、一瞬にして飲み込まれてしまったのです(市街地まであふれ出た火災サージの温度は700℃近くにも達し、これほどの温度と速度の溶岩に襲われたらまず逃げ切ることは不可能だと思われる)。, 翌日ヴェスヴィオ山の噴火が収束に向かった頃、ポンペイは何百万トンもの火山灰の下に埋まっていました。, そこには約2,000人が埋もれ、行方不明者や所有物を探そうと町に戻って来た人々もいましたが、ほとんど何も残っていませんでした。, 周辺の小さな町スタビアエとヘラクラネウムと共にポンペイは、この後、何世紀にも渡って放置されることとなったのです。, ※死亡者数に関しては諸説あるものの、一般的には2000人と推定されている。一方で最大で16000人が火山灰と溶岩によって生き埋めになったとする説もある。, 1748年に探検家の一団が、古代の遺物を探しにカンパニア州にやって来て発掘を始めるまで、ポンペイはほとんど手付かずの状態でした。, 火山灰が防腐剤のような働きをしたこともあり、火山灰の下に眠っていたポンペイの都市は、2,000年前とほとんど変わらない状態で残っていたのです。, 建物はそっくりそのままの状態であり、毎日のように新しい発見が続きました。中には、当時の市民が食べていたジャムの入った瓶や食パンまで見つかったのです。, また、人々を包んだ火砕流や火山灰がその後すぐに冷やされて固まった結果、中の遺体は溶けたために空洞となる一方、人々の姿や表情がその空洞の中に刻まれており、そこへ石膏を流しこむことで、当時の人々のリアルな姿を再現することに成功しています。, ポンペイが再発見されてから今日まで、ポンペイの発掘はおおよそ3世紀に渡って続けられていますが、学者や観光客は、ポンペイの遺跡や歴史的価値に、未だ魅了され続けているのです。, ポンペイ(Pompeii)という名前は、この地に最初に入ってきて集落を築いたオスキ人の言葉で、数字の5を表す「pompe」に由来しているとされます。, そのため、歴史学者の推測では、もともとポンペイは5つの集落から成り立っていたのではないかと考えられているのです。, 一方で、ポンペイア(Pompeia)と呼ばれる氏族がこの地へ最初に入植したことが起源だとする説もあります。, ポンペイの街は、先史時代に流れ出た溶岩の上に造られていたため、街全体としては変則的な形をしていたようです。, また、街の南西部が最も昔に造られたと考えられていますが、いつどのようにして街が拡大していったのかについては、未だに正確なことが分かっていません。, ちなみに、79年にヴェスヴィオ火山が噴火した時、ポンペイの街は再建作業の真っ只中にありました。, 62年2月5日に起きた大地震(並びにその後に続いた小さな地震)によって、街は大きな被害を受け、その一部は工事現場のような有様だったのです。, 被害を受けた公共の建物や個人の住宅は再建中であり、何度も修理を繰り返している建物もあったと考えられています。, ヴェスヴィオ山は1944年以降、噴火はしていないものの、今もなお活火山であり、いつまた噴火しても不思議はないと言われます。, 特に、ヴェスヴィオ山は噴火すると非常に大きな爆発(プリニー式噴火)を起こす火山であり、現在、火口から32km圏内にはおよそ300万人の人々が住み、活火山近くの人口密度で言えば世界最高。, このような状況をふまえると、もしヴェルヴィオ火山の大噴火が起これば、ナポリを含めて未曾有の大惨事となる可能性があるのです。, ヴェスヴィオ火山の噴火活動は噴火が始まってからその後、およそ24時間続き、街には溶岩や火山灰が2日間にわたって降り続きました。, 噴火が始まってからおよそ1時間後の午後1時または2時頃、火山灰を含んだ煙によって太陽の光はさえぎられ、1時間に約15cmのペースで火山灰が降り積もっていったのです。, その結果、最終的にポンペイの街の一部は、地中6m深くも埋まってしまったとされています。, 火山灰に守られ、都市全体の形がそのまま綺麗に残っていたポンペイ遺跡ですが、再発見されてから3世紀近くになろうとしている中で、発掘された遺跡の一部は雨風にさらされた結果、急激な劣化に見舞われています。, そのため、このままだと歴史的に貴重なポンペイ遺跡はいずれ崩壊してしまうと考えられているのです。, そこでイタリア政府は2014年、同遺跡を維持・修復するための「グレート・ポンペイ・プロジェクト」を発表。, ただし、遺跡の状態や直面する問題はそれぞれ異なることが多く、ポンペイを維持・保存していくには、莫大な費用と期間がかかると考えられています。, 79年に起こったヴェスヴィオ火山の噴火によって地中に埋まってしまった古代都市「ポンペイ」について、詳しく見てきました。, 当時のポンペイでは、灰が洪水の如く大地に流れ出し、そして街全体は、「まるで扉が閉められた明かりのない部屋のような暗闇」で包まれたと言います。, そのような大災害に見舞われたポンペイは一方で、ほぼ街全体の形が完全な状態で残り、同時に、建物、工芸品、芸術品など、当時の生活や文化を現在に知らせる貴重な遺産を残してくれています。, 当サイトは当サイトのメイン管理人である「ハリマン」が、内向きになりつつある日本人をもう少しだけ外向きにしたいという思いで運営しています。 さらに詳しくは下のホームボタンをクリックしてください。. pa.charset = "utf-8"; 昨晩の「世界ふしぎ発見」ポンペイ特集でした。https://www.tbs.co.jp/f-hakken/onair/190629.htmlその中で、ヴスビオ山の噴火した日は西暦79年8月24日と考えられていたのに、実は2か月後の10月だった、という驚くべき発言が有りました。これは知らなかった…ということで少々検索してみたところ、昨年CNNなどでは話題になっていたようですね。https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35127121.htmlちゃんとした出所が知りたくて更に検索。有りました、関係する記事がちゃんとイタリア文化財・文化活動省(MiBAC)の公式サイトに。記事によると、この新しく発見された文字を含む、最新の発掘現場を2018年10月16日大臣が訪れたそうです。https://www.beniculturali.it/mibac/export/MiBAC/sito-MiBAC/Contenuti/MibacUnif/Comunicati/visualizza_asset.html_1539948760.html8月24日説がずっと信じられて来たのは、唯1つの資料、小プリ二ウスによって書かれた書簡によるものだけで、これも本人が書いたオリジナルが残されていないため、経年で写し間違えなどが起きた可能性も考えられます。もし10月説が事実なら、今まで「いいくに作ろう鎌倉幕府」(1192年鎌倉幕府誕生)と語呂合わせで覚えて来たのが今では使えない、なんてこと以上に世界の常識を揺るがす大発見になることでしょう。また、8月に噴火が起きたことで今までは、夏のバカンスに訪れていた貴族たちの横暴さが、神を怒らせた報いで爆発が起きたなどと語られてきたことなども全部なし。この火山の噴火の被害にあったのは、ポンポイの真の住人。商人や奴隷だったのか、と番組では言っていました。Regio V(レッジョ5)と呼ばれるエリアは発掘が始まったばかりですが、かなり保存状態の良いフレスコ画なども発掘されているようで、更なる作業の進展が楽しみです。また行きたくなっちゃいましたね。ただ、こういう新しい発見の陰に、マフィアも絡む資金不足、多くの遺跡の保存状態が悪化していること…このあたりの問題は解決したのかなぁ?2014年には世界遺産登録はく奪の危険性が有りましたからね。 ポンペイ遺跡公式サイト http://pompeiisites.org/, ヴスビオ山の噴火した日は西暦79年8月24日と考えられていたのに、実は2か月後の10月だった, Vasari(ヴァザーリ)のBotticelli(ボッティチェッリ伝)Torrentini(トレンティーノ)版, Incoronazione della Vergine e Santi(聖母戴冠と聖人たち)Botticelli(ボッティチェッリ)-Firenze, https://www.tbs.co.jp/f-hakken/onair/190629.html, https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35127121.html, https://www.beniculturali.it/mibac/export/MiBAC/sito-MiBAC/Contenuti/MibacUnif/Comunicati/visualizza_asset.html_1539948760.html. ポンペイ最後の日 (百万人の世界文学 堀田正亮訳. 西暦79年、ナポリ湾にのぞむローマ帝国の都市ポンペイ。 100人隊の青年隊長グラウカスは久しぶりに故郷のこの街に帰ってきた。. イオンモールなどにも入っていて身... (function () { 講談社, 1955 (再話) ポンペイ最後の日 (講談社青い鳥文庫) 岡田好惠訳, 2001.5 … あらすじ. 6月29日 TBSテレビ『世界ふしぎ発見!』で歴史が覆る世界初公開の新発見について放送された、「ポンペイのヴェスビオ火山噴火は8月24日ではなかった」という件について、話題になっています。, ヴェスビオ火山の噴火跡の発掘が始まってから、今もなお300年を経て続いていますが、この新事実は2018年10月に発見されました。, 今週の #ふしぎ発見!は、昨年歴史を変える、ある落書きが発見された #ポンペイ。 ミケランジェロ・ブオロナーティの生涯と人生について見ていきましょう。ミケランジェロは万能の人と呼ばれ、天才的な能力で偉大な作品を数々残した芸術家です。 14世紀から16世紀頃まで続いたルネサンス期には、多くの芸術家達が誕生し、... イギリスの歴史・イギリス史において重要な13個の事件や出来事を紹介していきます。大きな存在感を示すイギリスを理解するためにも確認してみましょう。 ヨーロッパにおいて一際大きな存在感を持つイギリス。 現在、世界の共通語とも... ベルリンの壁について詳しくみていきます。建設された理由からベルリンの壁崩壊による影響など、歴史を追いながら確認していきます。 資本主義体制の西側と共産主義体制の東側に世界が分断された冷戦時代、ヨーロッパにおいても東西両陣営の緊... ナポレオンの妻と女達というテーマで、3人の女性を見ていきます。最初の妻ジョゼフィーヌ、愛人となったマリア、そして二番目の妻となったもう一人のマリアの生涯を確認してみましょう。 ナポレオン・ボナパルトは歴史上最も偉大な軍事指導者... ガリレオ・ガリレイの生涯と人生について掘り下げていきましょう。ガリレオに関する歴史ダイジェストと9つの豆知識を紹介していきます。 社会における文化的側面が大きく花開いたルネサンス時代のイタリアには、数々の天才芸術家や科学者が現... ボリス・エリツィンはソ連崩壊から現在のロシアに以降した初期の時期において、プーチン以前にロシア大統領を務めた人で、酔っ払いとしても知られる人物です。 1991年にソビエト連邦が崩壊した後に生まれた新国家ロシアは、まるで大人の世... (ローマ帝国に支配されて以降、ポンペイは急速に繁栄していったようで、建物は木造からレンガや石造りへと変わり、闘技場、2つの劇場、寺院、水道管まで整備された), 観光客、街の住民達、そして奴隷達が、小さな工場、職人達の店、居酒屋、カフェ、売春宿、浴場などを忙しく行き来していた, 79年の噴火以前にもヴェスヴィオ火山は幾度か噴火を起こしており、1780年頃に起きた非常に激しい噴火や、79年の噴火に一番近いものであれば, 火砕流に似ているけど火山ガスの比率が高くて密度が小さいため、高速で薙ぎ払うように流れ、その速度は, (市街地まであふれ出た火災サージの温度は700℃近くにも達し、これほどの温度と速度の溶岩に襲われたらまず逃げ切ることは不可能だと思われる), クレタ文明(ミノア文明)|クレタ島で興った青銅器文明は古代ギリシャ最古の文明の一つ. 西暦79年、ナポリ湾にのぞむローマ帝国の都市ポンペイ。 100人隊の青年隊長グラウカスは久しぶりに故郷のこの街に帰ってきた。. 三笠書房, 1953; ポンペイ最後の日 (世界名作全集 白川渥著, 古賀亜十夫絵. 『世界ふしぎ発見!』で歴史を覆す新事実!ポンペイ最後の日の謎初取材! 公開日 : 2019年6月29日 / 更新日 : 2020年5月10日 『ポンペイ最後の日』(ポンペイさいごのひ、原題: The Last Days of Pompeii)は、イギリスの作家エドワード・ブルワー=リットン (Edward Bulwer-Lytton) が1834年に発表した歴史小説。西暦79年、ヴェスヴィオ火山の爆発により火山灰に埋もれて消滅したローマ帝国の町ポンペイを舞台に、正義と悪の相克、様々な立場の登場人物たちの行動を経て、最後に火山の大爆発によるカタストロフ(破局)によって幕を下ろす。, 筋運びは単純明快で、魅力的な人間描写や読者の興味をそそる場面が多く、読みやすい小説であり、日本では少年少女向きの作品として紹介されることが多い[注 1]。, 舞台はローマ時代。正義感に燃え人情に厚いローマの青年貴族グローカス[注 2]を主人公に、この世の支配をもくろむ怪僧アーベイシーズ、兄と共に全財産を奪われた美しい娘アイオン、グローカスに叶わぬ思いを寄せる可憐な盲目の少女ニディア、キリスト教の布教に生涯をかけるオリンサスなどの様々な人物を配して物語に膨らみを持たせ、一方では善悪を明確にしてその確執によるドラマティックな事件の数々を配し、最後に火山の大爆発による終末的状況下での善の勝利を描くなど、エンターテインメント(娯楽)性の強い作品である。, 作者のブルワー=リットンは実際にポンペイに旅行してその様子を目にし、着想を得て一気にこの作品を書き上げたという[1]。, ポンペイを訪れたキリスト教伝道師の老人オリンサスは、ヴェスヴィアス[注 3]火山が不吉な兆候を見せていること、救われるためにはキリストを信じなければならないことを市民に説くが、アイシス[注 4]の女神を信仰し、キリスト教を知らない市民たちは相手にしない。, 青年貴族グローカスは、例年通りポンペイで夏を過ごすためにやって来た。彼は、酒場で奴隷として使われていた盲目の少女ニディアを助け、自分の召使とする。目は不自由だが利発で機転が利き細やかな心遣いのできるニディアは、よくグローカスの期待に応える。しかし同時にグローカスには、町を牛耳るエジプト人の大僧正アーベイシーズの悪を暴く目論見があった。知り合ったアペサイデスとアイオンの兄妹が、アーベイシーズの陰謀で莫大な財産を丸ごと奪われたのを知ったからである。アーベイシーズは妖術を使い、ポンペイの人々をだましてアイシスの女神を信じさせ、悪事を働いていたのだ。アーベイシーズの手下を捕えて彼の悪事を白状させたグローカスは、アペサイデスと共にアイシスの神殿に向かい、アーベイシーズに捕えられようとしていたアイオンを助けるが、その時大地震が起こって神殿は崩壊、アーベイシーズは下敷きになって死んだかのように思えた。, 地震に驚いたポンペイの人々は、オリンサスの言うことを聞くようになり、キリスト教に改宗する者も出てきた。アペサイデスもキリスト教徒となった。, だがアーベイシーズは悪運強く生きのび、グローカスを毒薬で廃人にしようとする。彼は、グローカスとアイオンが結婚すると聞いて嫉妬に燃える富豪の娘ジュリアを通して、ニディアに人を狂わせる毒薬入りの壺を渡した。ジュリアは、これはグローカス様のためになる妙薬だ、とニディアをうまくだましてしまう。ニディアは自分を助けてくれたグローカスに強い好意を抱いていたので、グローカスのワインに毒薬を注ぐ。それを飲んだグローカスはたちまち狂い出し、外へ駆け出した。ちょうどその頃、キリスト教に改宗した市民たちがアーベイシーズの悪事を告発しようとしていた。アペサイデスもその一人だったが、彼は不運にもアーベイシーズと出会って剣で斬殺され、アーベイシーズは、気が狂ってそこへやって来たグローカスに罪を着せてしまう。グローカスは殺人罪で捕らえられ、円形闘技場で獅子の餌食とされることになった。アーベイシーズはアイオンを誘拐し、閉じ込めてしまう。ニディアも彼の手の者に捕らえられてしまった。, 西暦79年8月24日、グローカスが処刑される日が来た。目が見えないニディアは毒薬の分量を誤り、少ししかワイングラスに注がなかったため、彼は既に正気を取り戻していた。彼は闘技場に引き出され、獅子たちが放される。だがどうしたことか、獅子はグローカスを襲わず、何かを恐れるような様子を見せる。そこへ、ニディアの必死の働きでアーベイシーズの正体を知ったグローカスの友人が到着し、役人や群衆に向かってグローカスの無罪とアーベイシーズの悪行を公にする。見物の市民たちは、「獅子は無罪の人には襲いかからないぞ!」「アーベイシーズを処刑しろ!」と騒ぎ出す。その混乱の中、天地を揺るがして火を噴くヴェスヴィアス火山。ポンペイ市内は修羅の巷と化し、狂乱して逃げ惑う人々の上から灰や石が降り注ぐ。グローカスはアーベイシーズと出会って決闘を挑む。彼の剣は見事怪僧の息の根を止めた。捕らえられていたニディアとアイオンは辛くも脱出してグローカスにまみえるが、ニディアはそこで力尽き、グローカスは「かわいそうに、ニディア」と男泣きに泣く。, 滅びゆくポンペイを後に、難を逃れた人々を乗せた船が進む。グローカスとアイオンも、二度と戻ることのないポンペイの街の跡を遠く見ながら去ってゆく。, 本作品では、火山の爆発が起こる前に、ライオンがグローカスを襲わずうろたえるような仕草を見せる。動物が天変地異を人間より先に感知する可能性は古くから言い伝えられており、この物語のあらすじを紹介した雑誌『國際冩眞情報』も、関東大震災の特集号ということもあり、その点に言及している。第二次世界大戦後も動物による自然災害予知の方法が日本・中国などで研究されており、宏観異常現象として知られているが、なお不明の部分が多く、科学的・合理的証明は得られていないので、これをもって地震等の予知を行なうことはできない[2]。, 本稿で参考文献に挙げた偕成社版や講談社青い鳥文庫はいずれも少年少女向けの名作文学という形式を取っている。またカバヤ食品株式会社は、自社のカバヤキャラメル販売促進の一環として「カバヤ文庫」を創設し、その中の第6巻第12号で本作品を『地獄の決闘』と改題して1953年に刊行した。, 「イシス (Isis)」の英語読み。エジプトの神話に登場する女神。アーベイシーズがエジプト人であることに対応している。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ポンペイ最後の日_(ブルワー=リットンの小説)&oldid=80183531. その日、グラウカスは暴走する馬車から執政官アスカニウスの美しい娘アイオネを救った。 2人はすぐにお互いに惹かれ合った。 次々と新しい発見がされているんですね。また訪れたくなります!#世界ふしぎ発見, — かな@スペイン&モロッコの旅終了。次の旅は中国。 (@sono_rolly) 2019年6月29日, ポンペイのヴェスビオ噴火については、修道女が書き写して伝えてきたため、いつしか間違って書き写したのだろうということです。, ポンペイの町は遺跡や神殿ではなく、『庶民が暮らす町』そのもので、今も生きていると語っていました。, 今まで、ヴェスビオ火山の噴火は、贅沢をしすぎた上流階級者を戒めるために噴火したのだと言い伝えられていましたが、秋には上流階級はポンペイにはいなかったそうです。, ポンペイでは上流階級・平民・奴隷という階級制度があり、奴隷は上流階級のため、入浴場で湯を沸かすために火を炊き続けていたそうです。, しかし上流階級者がいない間も火を炊き、また、建物を修繕するなど沢山の奴隷がポンペイで暮らしていたそうです。, ポンペイの奴隷は、働いてお金を得れば、主人から身分を買い取ることもでき、商売をしてお金を増やすこともできたことから、日々労働を続けていたということですが、皮肉なことに一番苦労して働いている奴隷達がヴェスビオ火山の噴火の犠牲になってしまったということです。, ポンペイの町では多くの人々の遺体が発掘され、悲しい歴史を伝えるために展示されているそうです。, 世界ふしぎ発見!よかった…